コラム

 公開日: 2012-10-05  最終更新日: 2014-06-04

寺院はいかにあるべきか?(その4) ─道理・人間に共通する判断能力を信じ、対話を切らさない─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈とある喫茶店〉

 寺院と仏教徒はいかにあるべきか?
 第四回目です。

◎姿勢の面

2 道理…人間に共通する判断能力を信じ、対話を切らさない

 人間は感情の動物ですが、理性に恵まれた動物であるところにこそ真の特性があります。
 道理は、理性がすなおにはたらくところに生ずる〈万人が納得できるはずの筋道〉です。
 どちらの主張が正しいかを考える議論が成り立つのは、互いに納得できる筋道すなわち、道理の感覚を共有しているからです。

 ものの道理を意識する時、私たちは客観的視点を持てます。
 それでもなお、独り善がりになるのが〈み仏ならぬ凡夫〉の宿命ではありますが、そこをできるだけ避けたいという社会人としての誠意は忘れぬようにしたいものです。
 ともすれば、「無理が通れば道理が引っ込む」世間ではあっても、本来、そうであってはならないと考える人々が多くいれば、社会はそれほど乱れずに成り立って行くことでしょう。

 こうした観点からすると、賛否両論はありましょうが、作家村上春樹氏が9月28日に発表した『魂の行き来する道筋』は重要な問題提起をしています。
 氏は、現在の尖閣諸島問題における日中のぶつかり合いに懸念を示し、こう指摘しました。

「領土問題が実務課題であることを超えて『国民感情』の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる」

 日中は互いに、共通の道理を用いた実務的話し合いによって問題を解決させるべきであって、国民感情という一国で収斂する気分があまり高揚してしまうと、道理が横へ置かれてしまい、後戻りのできない衝突へと進みかねないというのです。

「政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ」

 最悪の衝突である戦争が起これば、敵味方にかかわらず人々は死にます。
 兄弟の手足が吹き飛ばされる、父親の首が飛ぶ、さらには子供の胴体がちぎれる、妻の腹に穴が開くなど、死の現場を具体的に想像する時、私たちの誰もそれを望んでいないことに気づくことでしょう。
 しかし、気分の高揚は、紛争地帯で〈今現在、地球上に現れている現実〉や、歴史となって〈くり返されてきた現実〉を想像する能力に蓋をしてしまいます。
 氏はそれを酔っ払った状態にたとえます。

「安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。
 人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。
 論理は単純化され、自己反復的になる、
 しかし、賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。」

 道理を忘れ、感情に左右されれば、私たちの行動は限りなく獣に近づきます。
 自他が魂を持った存在であることを忘れ、魂の交流が閉ざされるのは、戦場だけではありません。
 イデオロギーや宗教の狂信、盲信も同じ結果をもたらします。
 自分の持っている定規だけが正しいと考えて共通の尺度を失えば、共通の問題に対する相手の判断に納得できる可能性が失われます。
 たとえばAさんが神のお告げによって「5が正しい」と考え、Bさんも「5が正しい」と考えた時さえ、「5」の量が違っていれば、議論は永遠にすれ違いのままです。
 そこに誤解が生まれ、疑念が生まれ、やがては嫌悪や憎悪まで生まれ、魂の交流は閉ざされます。

 仏教は人間の霊性を信じ、その根拠として仏性があると信じます。
 仏性の色合いは慈悲すなわち相手を選ばない思いやりです。
 真の思いやりを持った仏教徒は、信じ合える可能性を信じています。
 この〈可能性〉が現実化すれば、村上春樹氏の言う「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士」となります。
 ダライ・ラマ法王の説かれる「仏教は理にかなった主張や経験実利に従うものでなければならない」もまた、可能性の現実化を求めてやまない姿勢です。

 仏教は一人一人が作る業(ゴウ)だけでなく、社会が作る共業(グウゴウ)も重要視します。
 仏教徒は、自分の業を見つめるだけでなく、社会の共業からも目を背けられません。
 政治的状況により、マスコミやネットの影響により、イデオロギーや宗教の狂信により、人々が道理から離れて行く時は悪しき共業を積む危険性があります。
 道理から離れぬよう踏みとどまるのもまた、仏教徒の大切な生き方です。
 村上春樹氏の主張はそこに通底し、ひいては日本人の矜恃にもつながっています。

「『我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうともしかるべき敬意を失うことはない』という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ」

 人間と社会の現実から目をそらさず、み仏の教えを深く、広く学び、常に思いやりを忘れず、常にものの道理に合った判断と手段を用い、互いに根源的な「苦」から脱するよう努力したいものです。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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