コラム

 公開日: 2012-10-21  最終更新日: 2014-06-04

やってくる悲しみ、そして苦と浄化について

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 最近、子供たちのいのちが弾けるような姿や声に言いようのない悲しみを覚える機会が多くなりました。
 近くにいてもなかなか会う時間のない孫の声が携帯電話から流れる至福の時間が過ぎると、愛しさを覆うかのごとく深い哀しみがやってきたりします。
 歳のせいなのか?
 そうなのでしょう。
 なぜなら、若い頃は、幼いいのちに涙ぐむなどということはなかったからです。
 では、どう〈歳のせい〉なのか?

 悲しみはどこからやってくるか?
 自分の過去を知っており、人間の行いを知っており、社会のできごとを知っているからです。
 子供が成長するとは、猛烈な勢いで頭中のニューロンが増殖し、精神を動かす機能が高まると共に、自我が芽生え、自我を第一とする煩悩も強くなることだからです。
 無邪気に親を信じ、先生を信じ、言われるままに手をつなぎ、仲間と一緒に歌を唄う幼いいのちが、やがて強くなった肉体で他人を殺し、巧妙に動くようになった精神で他人を騙しもするとは──。
 時には泣きたくなるような状況も乗りこえてようやく一人前に育ててくれた親を泣かすようになるとは──。
 光だけしかないかに見える子供が、大きくなるに従って他人を泣かせ、自分も泣かされ、他人を虐げ、自分も虐げられ、他人を苦しめ、自分も苦しめられ、光が増す一方で闇をも深くしつつ生きて行くことが宿命だとは──。

 死の影をはっきりと感じとる年令になってようやく、お釈迦様が「輪廻(リンネ)の中にあるものはすべて苦しみを背負っている」と説かれたことが理解でき始めたのでしょう。

 苦が三つの面から説かれていることはとっくに知っていました。
 一つは、苦苦(クク…苦痛と感じる苦しみ)です。
 一つは、壊苦(エク…変化がもたらす苦しみ)です。
 一つは、行苦(ギョクク…煩悩の影響下でしか生きられない苦しみ)です。

 一番目は、文字どおり「痛いほど」よくわかります。

 二番目は、形あるものはすべて滅することとして、頭では理解できていました。
 しかし、「5年がかりで探し続け、ようやく墓地を定める決心がつきました」、「住職が気に入った。おれの骨はここに埋めるけん」、こうした方々を送り、一周忌や三回忌などを行うたびに、「あなたはあまりにも早く逝き過ぎました……」との思いは深まるばかりで、ようやくその真意がわかりかけてきました。
 孫や幼い子供たちには、逃れられない四苦八苦の宿命を観て、辛くなり、その恐ろしさがわかりかけてきました。
 壊苦は、まず、悲しみとしてやって来ます。
 悲しみから逃れられないことが〈ままならない〉という意味での苦なのです。

 三番目は、自分自身のこととしてあまりにもはっきりと観えており、この面での戦いにようやく勝利しつつあると思えたのもつかの間、孫に生まれつつある闇の気配に打ちのめされ、人間が背負う宿命の重さに今さらながら、震えるような思いがしてなりません。
 これまでも、昭和43年から44年にかけて連続ピストル射殺事件を起こした死刑囚永山則夫の著書『無知の涙』に打ちのめされました。
 彼は、詩に「キケ人ヤ 貧シキ者トソノ子ノ 指先ノ冷タキ血ヲ」と書き、「刑が執行される時には全力で抵抗する」と公言し、そうしつつ逝ったとされています。
 9件もの爆破事件で起訴された死刑囚大道寺将司の句集にも参りました。
 自分は被害者との関係性の中でしか生きていられないとし、「傷みしは世間か吾か雨蛙(アマガエル)」と詠みました。
 確かに、確かに、〈ままならない〉のです。

 そして、一番目の苦にはどうにか耐え得ても、悲しみとしてやってくる二番目と三番目の苦には、まだ十分に耐え得るとはとても言えません。

 ダライ・ラマ法王は説かれました。

「~苦しみとはどういうものかというそれなりの知識を持っていると、この輪廻にいる限りは、すべては苦しみの本質を盛ったものなのだ、という認識があるので、実際に何か苦しみが生じてきたときにも、私たちの心の中には、苦しみに対する何らかの下準備ができていることになります」
「いくら努力してもその苦しみを取り除くことができない、というような状況に直面した場合には、苦しみについての認識があると、自分にはその苦しみをくいとめることができないような業があるのだ、と考えることによって、心の中にはその苦しみを受けとめる余裕ができます」

 私には、はたしてそうした〈下準備〉や〈余裕〉があると言えるのか?
 はっきりしているのは、「すべての有情の苦しみが、すべて私の身に起こりますように」と願う菩薩(ボサツ)の覚悟までは距離があるということです。
 でも、「自分の得ている苦しみは、前世からの悪業(アクゴウ)を浄化してくれるものなのだ」とは考えられ、「自分が苦しみを得ることによって自他の悪業が浄化されますように」と祈る心はあります。
 そして、未熟な自分を恥じたり、ガッカリしたり、諦めたりといったことはありません。
 悪業を積んだ以上、悪業を浄化しきれない限りきっと又、転生してくるので、そこで残りの修行を続ければよいだけのことです。

 また、思い出します。

「君看(ミ)ずや双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」

 お釈迦様は、万人の悲しみを我が悲しみと感じておられるので、お心には次々と憂いが生じておられるはずなのに、お優しく澄んだ御眼を見る限り、そうした気配すらありません。
 それは、ご自身の心の中で悲しみを解消し、その境地を見せてお導きくださっているからです。
 この悲しみ、この苦を解かれ、お導きくださっているみ仏がおられる以上、私たちは必ず、そこへ近づけます。
 信じて悲しみ、苦しみ、修行しつつ歩み続けましょう。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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