コラム

 公開日: 2012-10-22  最終更新日: 2014-06-04

寺院はいかにあるべきか?(その7) ─布施を正しく理解し実践する─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈とある喫茶店7〉

 寺院と仏教徒はいかにあるべきか?
 それを問う第七回目です。

◎戒めの面

1 布施…仏法による布施、仏法に基づく布施を徹底して行い、財物や労力による布施の強要をしない

○ 寺院は布施を行うところであり、行者は布施をする僧侶でなければなりません。

 こう言うと、怪訝に思われる方も少なくないことでしょう。
 寺院はお布施を集めるところだという認識が一般的だからです。
 でも、そうではありません。
 寺院は、ご縁の方々のために法を修し、法施という布施(ホウセ)を行うからこそ、社会的な存在意義があります。
 お寺に足をはこぶのは、安心などの救いを求めるからではありませんか?
 ならば、寺院はそれに応えてこそ存在することが許されます。
 救いの得られない寺院は、病気を治してもらえない病院と同じであり、髪を整えてもらえない床屋と同じであり、廃(スタ)るしかありません。

 救われようとする、あるいは救われた方は何かを捧げて、寺院が存続できるよう協力します。
 それが財施(ザイセ)です。
 寺院自体は利益を求める経済活動と無縁なので、支えがなければこれもまた、廃れるしかありません。
 お大師様は「仏法の興廃は人による」と説かれましたが、それはそのまま「寺院の興廃は人による」と言い換えられます。
 み仏に仕える僧侶がいかなる人物であるか、また、仏縁を求める方がいかなる人物であるかによって、仏法も寺院もあるいは生き生きとはたらき、あるいは寂れ、廃れ、忘れ去られます。
 だから、托鉢にでかけ、玄関での祈りが終わりお布施をいただくと「財法二施(ザイホウニセ) 功徳無量(クドクムリョウ) 檀波羅蜜(ダンパラミツ) 具足円満(グソクエンマン)」と口にします。
 財物による布施と法による布施とが行われるところには限りない功徳が生まれ、行者にとっても在家の方にとっても、布施の修行は欠けるところなく成就されたと感謝するのです。

 また、布施はあくまでも自主的であればこそ真の布施であり、計算ずくだったり、強制されたり、嫌々だったり、義理だから仕方がないと思ったりすれば、もはや布施とは言えません。
 では、対価のあるものはすべて布施ではないかといえば、そんなことはありません。
 たとえば、1時間700円で草取りを請け負った場合、元気でご本尊様がおられる境内地の草取りをやれることに感謝し、手を抜かずにしっかりやる方は、精神的にも物資的にも対価を超えたはたらきをしておられます。
 だから、立派な布施の修行になり得ます。
 その反対に、たとえまったくの奉仕作業であっても、「こんなことはやりたくないけど、行きがかり上、仕方がない」と心でグチをこぼしながら流した汗は穢れています。
 こうなれば、せっかくの奉仕も、真の布施行ではなくなります。
 仏教はあくまでも〈動機〉としての心を問い、良き心、善き心で行ってこそ布施と言えるのです。

○ 仏法に触れ、布施の価値に納得した人には布施を第一として生きていただきたいと願っています。

 東日本大震災では、膨大な数の方々が日本中からだけでなく世界中から訪れ、黙々とはたらかれました。
 今も、たくさんの方々が縁を絆と感じて現場にとどまっておられます。
 お姿を観たり、話したりすると、この方々は何かを〈探して〉、あるいは〈求めて〉来られたと感じる場合が多々、あります。
 それは、私たちにとって日々を生きることの意味や目標がとりわけあいまいになっている時代の表れなのでしょう。
 
 作家高史明氏は43才の時、12才の息子岡真史が自殺するという悲哀を味わいました。
 その24年後の平成11年、「いま『いのち』の声を聞く」を書きました。

「私は泣いた。
 その悲しくもつらい涙は、くる日もくる日も続いた。
 いまもその涙は続いている。
 気づいてみれば、私の生には、絶え間ない涙の川が流れていたのであった。
 その涙ゆえに人間は、老に泣き、病に泣き、死に際して泣くのだとも言えよう。
 人間の生とは、深い涙とともにあったのであった。」
「人間とは、いのちの大地から誕生してきながら、そのいのちの故郷を忘れてしまう生き物だったのである。
 母親に抱かれている揺り籠の時期までは、まだいい。
 だが、這い這いをし始めるとどうだろう。
 人間はそれまでの軸足を、いのちの大地から自分中心の頭の知恵へと移すのである。
 いわゆる三つ子の魂と言われている第二の誕生の時期が始まる。
 この時期を迎えた者は、もはやかつての初々しい産声を思い出すこともないと言えよう。
 人間はこの第二の誕生から、さらに第三の誕生とも言える自我誕生の時期を迎えるのである。
 そして、何が起きるか。
 大地の上に頭で立つようになるのである。
 それは何か。
 この時期を迎えた人間は、いっそう深くいのちの大地を見失うことになるであろう。
 まるで世界が、自分中心に回転してるかのような思いを抱くのである。
 言うなれば、いのちを私物化して自分の〝もの〟であるかのように思うからである。
 だが、いのちの私物化は、いのちの喜びを失うことにほかならない。」
「何人の誕生も、元から言えば無数のいのちを縁としているのである。
 もし、人の人生が、自分一人において完結するものであれば、その自分一人の誕生にかかわってきた無数のいのちの縁をどう考えればいいのだろう。
 いのちを私物化して、自分一人においていのちを完結させようとする道行きこそは、まさに完全に孤独な人生である。
 この孤独こそが、人間の地獄である。
 人間の心底の涙の川とは、この孤独をいく人間に注がれているいのちの大地の涙なのである。
 いのちを私物化する人間は、まさに真実のいのちから深く悲しまれていると言うほかない。」
「人間がその人生の途上で、ただ泣くほかないということになるなら、その時こそは深い涙を思い出していいのである。
 新しいほんものの人生がその瞬間から始まるのだ。
 自分中心の人生から、深い涙に目覚め、いのちの大地に再生していく人生こそが、ほんものの人生である。」
「人間は四度生まれる。」
 
 無数のいのちのつながりの一部としての自分を自覚し、いのちの私物化を離れるきっかけになるのが布施行です。
 確かに、高史明氏の言うとおり、それは新しい誕生であり、新しい人生の始まりになるのです。
 実際、出家得度をするおりには、死に装束である白衣をまとい、生きながらにして〈自分の〉いのちをみ仏にお返しし、新たにいただいたいのちを生き直します。
 布施を第一として生きる人だけが、高史明氏の言う「四度」目の誕生を体験できるのではないでしょうか。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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