コラム

 公開日: 2012-11-19  最終更新日: 2014-06-04

沖縄のご遺族が流された涙・昭和天皇の御心で流れたであろう涙

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 11月17日、天皇皇后両陛下は沖縄県を訪問し、太平洋戦争における御英霊のお骨を納める国立沖縄戦没者墓苑で供花されました。
 糸満市で行われる「第32回全国豊かな海づくり大会」などへの臨席を目的とした来県ですが、両陛下のたってのご希望により供花が実現しました。
 戦没者の追悼・慰霊に励む「沖縄県遺族連合会」の照屋苗子会長(76才)は、陛下から「遺族の人たちも高齢化してくるでしょうから、どうかよろしくお願いします」と声をかけられ、涙を流しました。
 両陛下が移動される車列の沿道には、多くの県民が並び、傘をさしながら、日の丸を振るなどして迎えました。
 仲井間知事は「心の底から両陛下を歓迎するという雰囲気が、できてきたなという感じです」と話しました。(上記は産経新聞11月18日付「両陛下、8年ぶり沖縄ご訪問」を参照しました。

 しかし、私には忘れられない記事がもう一つあります。
 11月14日付河北新報「昭和天皇、75年初訪米前 側近に問う」です。
 沖縄公文書館が9月に公開した当時の屋良朝苗知事(故人)の日記に、宇佐美毅宮内庁長官の話として記載されていたものです。
 以下、要点を転載します。

 日記によると、屋良知事は皇太子(現天皇陛下)の沖縄国際海洋博覧会(海洋博、75年7月開幕)名誉総裁就任を受け、あいさつのため同年4月16日に宮内庁を訪問。
 その際、宇佐美長官が知事に「天皇陛下から『私はどうするのだ アメリカに行く前に(沖縄に」行けないか』とn御下問があって困った』と打ち明けたという。
 当時は、同年9月末の出発に向けた初の天皇訪米の準備が本格化していた時期に当たる。
 さらに日記には、宇佐美長官の話から、昭和天皇が「(海洋博に)各国元首が見えて、天皇が参列して居られぬ事になると大変具合が悪いとの事も話されたようだ」という記述もあった。
 昭和天皇は終戦後、全国を回ったが、米占領下だった沖縄は訪問できなかった。
 沖縄は72年5月に本土復帰を果たし、同年11月に復帰記念植樹祭、翌73年5月に特別国体「若夏国体」が県内で開かれた。
 植樹祭と国体には天皇が出席するのが恒例で、屋良知事は植樹祭出席を「宮内庁に正式に要請したい」と記者会見で明言したが、知事を支える革新陣営から強硬な反対論が出て、植樹祭も国体も昭和天皇の訪問は実現しなかった。
 知事は復帰前の69年春と復帰直後の72年春の園遊会に招かれ、昭和天皇と直接の面識があったことから、日記には「(宇佐美長官から)陛下の御気持もうかがって胸がいたむ」とも書いている。
 昭和天皇は87年10月開催の国体(海邦国体)での沖縄訪問が決まったが、直前に体調を崩して開腹手術を受けたため、天皇として沖縄の地を踏むことなく89年1月に逝去。
 93年4月の植樹祭で、現在の天皇陛下が歴代天皇として初めて沖縄県を訪問した。

 この記事には滂沱(ボウダ…止めどなく流れること)たる涙の流れる思いでした。

 開戦が事実上決まった昭和16年9月6日の御前会議において、通例として発言しないはずの陛下が突如、お言葉を述べられました。
 統帥部(トウスイブ…当時の軍部を束ねていた組織)が質問へ満足な回答をしないと叱り、懐から短冊を取り出して読み上げられたのです。

「四方(ヨモ)の海 みな同朋(ハラカラ)と思う世に など波風の立ちさわぐらん」

(日本をとりまく海でつながっている世界中の国々は皆、同胞であると思っているのに、国家間でなぜ波風が立つのだろうか)
 そして開戦の詔書にはこう記されました。

「~洵(マコト)に己(ヤ)ムヲ得サルモノアリ。豈(アニ)朕(チン)カ志ナルヤ~」

(この開戦にはまことにやむを得ない事情がある。開戦がどうして私の望むところであろうか)
 開戦の詔勅は昭和16年12月8日に発せられましたが、この日に生まれた女の子の中で「詔子(ショウコ)」と名づけられた方々がおられます。
 過日、そのお一人と出会いました。
「詔とは畏れ多い文字の入ったお名前ですね?」
と声をかけると、毅然として答えられました。
「あの日、産婆さんがつけてくれたと聞かされました」
 心身共にスッと背骨が伸びて揺るがぬものを持っておられ、なぜか納得できました。

 陛下は昭和21年から昭和29年にかけて全国へ行幸(ギョウコウ…天皇陛下が出かけられること)され、敗戦を迎えたトップが津々浦々で国民総出の大歓迎を受けるという歴史上まったく異例な光景がくり広げられました。
 しかし、アメリカの占領下にあった沖縄県にだけは足を踏み入れられなかったのです。
 それだけに、沖縄から訪問を拒否されたまま崩御(ホウギョ…君主などの死去を言う)された昭和天皇のご無念は察するに余りあります。
 最後の激戦がくり広げられた沖縄の方々の心中もまた察するに余りありますが、やはり硬直したイデオロギーの恐ろしさ、そして同じように硬直した思想や宗教を押し立てて他国と争う国々の現状をあらためて考えてしまいます。
 願わくは、生きものとして窮地に陥れば敵にすら塩を送り、かけられた情けにはすなおに感謝し、「皆同胞(ミナハラカラ)」の大和の心で誰にでも思いやりを持つ日本の国ぶりを大切にして行きたいものです。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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