コラム

 公開日: 2012-12-06  最終更新日: 2014-06-04

聞いて思って智慧をはたらかせる ─戒名って?お葬式って?初詣へでかけられない?お寺は変えられない

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





〈はるばる仙南の地から六地蔵様の衣装が届きました〉

 12月5日、「マイベストプロ宮城」の生活相談会を行いました。
 日常法務の万般についてのお話ですが、まず「仏教は生きもの」というテーマから入りました。
 お釈迦様ご自身が「過去にもこの真理に気づいた方々がおられる」と言われたとおり、仏教は決してお釈迦様がお作りになったのではなく、誰が気づこうが気づくまいが永遠に変わらない真理を探究し続ける宗教であること。
 だから、経典は、今でもどこかで超越的な行者によって記されているかも知れないこと。
 そして、学ぶ私たち自身が、縁となった教えをいかに理解し実践するかによって仏教を生かせるかどうかが決まること。
 こうした宗教なので、経典や経文の内容を書いてあるとおりに信じられるかどうかが問題ではなく、「聞・思・慧(モン・シ・エ)」が求められていることなどをお話ししました。

 まず、知らなければ教えは縁となりません。
 それが「聞(モン)」です。
 知ったならば、自分自身の頭で考え、スッと胸に落ちるかどうかよく吟味せねばなりません。
 ここが何よりのポイントです。
 神様から信じるかどうかが問われているのではなく、あくまでも自分で納得できるかどうかが問題なのです。
 本当に納得できずに先へ進もうとすれば、宗教はただの知識でしかなくなるか、慣習やタブーでしかなくなるか、盲信でしかなくなるか、いずれにせよ、その人にとって真に生きたものとはなり得ません。
 深い納得があり心が清められれば、み仏の世界へ通ずる智慧がはたらき出し、仏教は導きの灯火となり救いとなります。

 こうしたわけで、このセミナーにおいても、聴講者の皆さんが学ぶのは「聞(モン)」であって、私は決して「こう信じなさい」と強制などしません。
 だから、どうぞ質問や疑問をぶつけてくださいということで具体的内容へ入りました。
 この先は、当日、お話しできたこともできなかったことも、問題に即して簡単なコメントをつけておきます。
 お読みになられる方々の「思(シ」と「慧(エ)」につながればありがたいことです。

・戒名って何?

 戒名は戒律と共に授かる〈み仏の子〉そのものとしての名前です。
 生きて戒名を受けるのは出家得度する僧侶か、もしくは僧侶と同じく〈生き直し〉を希望し生前戒名を受ける人です。
 戒名は、親が我が子へつける名前に匹敵するものであり、一介の行者である僧侶が自分で考えらなどしないので、当山ではご本尊様へ祈り、降りたものをそのままお渡ししています。
 だから、み仏からいただく戒名に料金の決めようはありません。
 また、こうした内容を熟慮してなお、種々の理由から戒名を求めない方でも、当山では平等に引導を渡しています。

・お葬式は何をするの?

 導師が法力によって、亡くなった方へこの世とあの世の区切をおつけするのが引導であり、この一瞬に葬儀の意義が凝縮されています。
 僧侶は引導がきちんと渡せてこそ一人前であり、行者としてだらけた生活をしていればもちろん論外、加齢によって気力・胆力がなくなってもできなくなります。
 もしも、引導を渡せない内容の空虚な葬儀を行えば恐ろしい欺瞞であり、仏法への侮辱であり、行者として失格し仏教を形骸化させることでしょう。
 なぜ、み仏から〈引っぱり導いて〉いただかなければならないか?
 それは、私たちがこの世に生まれた後、親や教師や先輩など、いかにたくさんの導きを受けて成長し、人生を生き抜くかを考えればすぐにわかります。
 指導され学んでなおさんざん失敗をやらかす未熟な人間が、亡くなった途端にいきなり賢くなり、一人でまっすぐ浄土へ行けるはずなどないではありませんか。

・もうすぐお正月が来るけれども、今年身近な人を送っている場合は、初詣ででかけてはいけない?
 死者が出た家の人は鳥居をくぐれない?

 近親者が亡くなれば、身を慎まないではいられないのがまっとうな人間です。
 しかし、死は穢れであり、神様のおられる神社は清浄な聖域だから、穢れをまとった人は神社へ行ってはいけないというタブーからは、そろそろ解放されてもよいのではないでしょうか?
 そもそも、死は誰にも望まれはしませんが、だからといって穢れとして忌み嫌うべき理由などありはしません。
 たとえば、自分を生み育ててくれた大恩ある母親が、死んだ時から穢れた存在になってしまうなど、考えられましょうか?
 もしもそうであるなら、なぜ、私たちは死者へ寄り添って涙ながらに送り、お骨を大切に扱わないではいらないのでしょう。
 真実は、生まれれば死ぬ、それだけのことです。
 そしてまた、死があってこそ、新たないのちの誕生がもたらされるのは自然の理というべきです。
 
 お正月を迎え、昨年逝った母親が、毎年恒例となっている一家揃っての初詣を〈行かないように〉と望んでいましょうか?
 自分を悼む気持があればそれだけで充分だから、どうぞ今年も初詣に行って気持を新たにし、助け合って頑張って欲しい、と希望しているのではないでしょうか。

 こうした面でのタブーには、二つの心理がはたらいています。
 一つは、あまりに堂々と前を向き切るのは、逝った人へ何となく申しわけないという遠慮の気持です。
 もう一つは、悼む気持で行動しなければ、何か悪いことが起きるのではないかという不安な気持です。
 いずれも自然で簡単に無視すべきではありませんが、最も大切なのは、逝った人が何を望んでいるのかという点ではないでしょうか。
 もしも、自分があの世からこの世を眺めているとしたならば……。
 やはり、自分を悼む気持は嬉しいが、それはそこそこにして、しっかり毎日を歩んで欲しいと願いたくなりませんか?
 お線香をあげてくれたなら、お線香のように精進して欲しいと願い、灯明をつけたなら、み仏の智慧を忘れず、自己中心でなく生きて欲しいと願うのではないでしょうか?
 悼む優しい心を大切にしながら、同時に、逝った人の気持になり、勇気を持ってなすべきことに邁進したいものです。

・お寺は変えられない?

 この人生相談はずっと続いています。
 皆さんが変えたくなる理由は大きく分けて3つあります。

1 遠方でなかなか行けない。
 お墓を近くへ移してきちんと供養し、自分も入る準備をするのは当然です。
 ご先祖様が〈動かされたから祟る〉などということはあり得ず、供養できる人が供養しやすい方法をこうじて何の問題もありません。

2 跡継ぎがいない。
 どこかの時点で見極めをつけ、これまでのお寺に永代供養を頼むか、近くのお寺に移して永代供養を頼めば大丈夫です。

3 お寺のやり方に納得できない。
 お寺へ問題点を指摘し、話し合いがつかなければ、お墓を移すしかありません。
 移すのは憲法で保障された自由です。
 ここで問題になるのは、悪名高い離檀料です。
 当山は、この言葉自体が仏法を汚すと考えています。
 そもそも、経済活動を行わないお寺は、ご縁の方々の尊いお布施のみによって成り立っています。
 だから、檀家さんは、お寺にとって恩のある方々です。
 そうした方が離れる時は、「よくぞこれまで支えてくださいました」とお礼を申し上げて当然であり、「これまで面倒を見てやったのだから、お礼をしてから行け」とお金を請求するなど言語道断です。
 また、僧侶はお不動様の心でなければなりません。
 お不動様は頭上に小さな蓮華を戴いておられますが、そこへ私たちを乗せて、ヨイショと下から支えてくださっているのです。
 生きながらにしていったん娑婆を離れ、死に装束である白衣をまとう僧侶は、み仏の子そのものとして生きねばならず、それは、皆さんを第一として皆さんのためにはたらくお不動様になることと同じです。
 ならば、お寺の都合で皆さんを引き留めたり、離檀料を請求したりすべきでないのは当然です。

 セミナーの50分はたちまちに過ぎ、皆さん全員、なかなか帰り難いご様子なので、別室をお借りしてさらに質疑応答を行いました。
 来年、続きをやりたいものですね。
 皆さん、どうぞお元気でお過ごしください。合掌




 
 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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