コラム

 公開日: 2012-12-31  最終更新日: 2014-06-04

餌をねだるひな鳥は可愛いか ─釈尊の観たものは?─ 

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。







 私たちは、孵化したばかりのひな鳥たちが親鳥から餌をもらいたい一心で大きく口を開け、競うように鳴く様子を見て「可愛い」と思います。
 私もそうでした。
 しかし、外での法務を終え、夜遅く帰山した私を小さなちゃぶ台の前で待っていた妻の姿に愕然としました。
 急いで食事を用意してから出かけたのに、食べないでじっと座っていたのです。
「どうしたの?冷めてしまったね」
「だって……」
〝──これが親鳥の帰りを待つひな鳥の本当の姿なのだ。
 お釈迦様が観られたのは、この姿だったに違いない……〟

 若き日のお釈迦様が、恵まれた日常生活を捨てて真理を求める生活へ入られた理由については、さまざまな物語が言い伝えられています。
 その一つが、春の野へ出た時、親たちなどと一緒に楽しまず、自然の様子へ見入り、鳥についばまれる虫を眺めて無常を感じたというものです。
 この説話を読んで、事実としては理解できるけれども、なぜ、そう観えたのか、今ひとつ釈然としませんでした。
 それは、歌や踊りの歓楽が終わり、酔って寝入ってしまった女性たちのしどけない姿に、醜いものを感じたと伝える説話を読んだおりに感じた疑問と同じです。
 なぜ、そう観えたのか?
 恵まれた環境にあり、日常生活に悩みのない若く元気な青年なら、春の野で躍動する生きものたちに生命の息吹を感じ、あるいは、酔って寝込んだ女性たちに性的刺激を受けるのではないか?

 この疑問は、スタートがまちがっていました。
 答として「お釈迦様は並外れて繊細な感覚の持ち主だったから」などと示されたところで、何の解決にもなりはしません。
「なぜ、そう観えたのか?」ではなく、「何を観たのか?」と問わねばならなかったのです。
 観たものを縁として熟考し出家した以上、そう問わねばならないのに、正しく問えなかったのは、〈私たちが日常、目にする周囲の光景と、お釈迦様の目に映る光景は同じものである〉という無意識の錯覚があったからです。
 愚か者は迂闊な間違いをするものです。
 防犯カメラが切り取った一瞬の光景は事実として一つでも、それを目にする人々の目に見え、心に映じていたものは千差万別です。
 ならば、お釈迦様は、私たちが日常生活で観えない光景を観たからこそ、家族たちとの生活感覚もずれ、すべてを離れないではいられない境地へまで行ってしまったに違いありません。

 疑問を解くカギが、〈親を待っていたひな鳥〉です。
 私たちがこうしたパターンの映像を目にする時は、親鳥の健気さや、ひな鳥たちの元気さ、あるいは人間も動物も変わらない親子のありよう、など、人間の日常生活に合った感情や感覚を動かされます。
 それとまったく次元の違う根源的原理などという視点はめったに生じません。
 しかし、お釈迦様には違って観えました。
 原理は、飢え、つまり死の可能性と共にある無常な〈生の危うさ〉です。
 ならば、光景は微笑ましくなどありはせず、〈哀れなもの〉となってしまうしかありません。

 飢えている人が〈親を待っていたひな鳥〉の様子を目にすれば、ああ、よかったなと思うかも知れません。
 もしかすると、親鳥が餌を持って巣へ帰ってこなければすぐに死ぬしかないよな、可愛そうに、と思うかも知れません。
 しかし、それはきっと、その時だけです。
 自分が食べて生きられるようになってなお、〈親を待っていたひな鳥〉に哀れさを感じる人はそう多くはないと思われます。
 お釈迦様は、きっと、飢えや死の可能性を我が身にあり得ることとして感じられない生活にあって、〈生の危うさ〉を実感し、〈哀れなもの〉に涙されたのでしょう。
 そこが私たち凡人とは次元を異にするところです。

 小池一夫原作・小島剛夕画の漫画『子連れ狼』を思い出します。
 拝一刀が三歳の子拝大五郎を特製の乳母車に乗せて刺客の旅を続ける物語は映画にもなり、特に若山富三郎が主演したシリーズは傑作の誉れ高い作品群です。
 拝一刀が切られれば、当然、大五郎も屍となるしかない死と隣り合わせの旅は、圧倒的なファンを生みました。
 後に主題歌が作られ、橋幸夫と若山児童合唱団が「しとしとぴっちゃん」と唄い、大ヒットしました。
 そこでくり返されるフレーズがあります。
「帰りゃあいいが 帰らんときゃあ
 この子も雨ン中 骨になる
 この子も雨ン中 骨になる」
 大五郎はまさに〈親を待つひな鳥〉です。

 さて、秋風に舞い散る枯れ葉ではなく、元気に鳴くひな鳥にもまた無常がイメージされてこの先、どう生きるか。
 何もかも、親から、師から、ご縁の方々から教えていただき、またまた、病気の妻から教えられ、この先、どう生きるか。
 来年も皆さんと共に、遙かなるお釈迦様とお大師様の背中を追って進みましょう。



 
 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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