コラム

 公開日: 2013-02-02  最終更新日: 2014-06-04

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その45) ─精神力と集中力を養おう ─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 この欄では、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

45 「せ」 精神一到(イットウ)何事か成らざらん

「古今を貫く真理はこれだ。
 算術の下手な者、綴り方の拙(マズ)い者、やらないからだ。
 どこまでもやろう!
 やってやってやりぬこう。」

 古くさいと脇へ追いやらず、そうかといって教条主義的に「やれ!」と強制するのではなく、いにしえの賢者が遺した叡智を含む言葉について、冷静に考えてみましょう。

 占領軍により、戦前における日本文化の価値が全否定されたとされている戦後すぐの時期を少年として過ごした小生たちの世代でも、この言葉を知らない仲間はいないはずです。
 そして、来し方をふり返ってみると、「精神一到」というありようによって損なわれた自分の人生はなく、むしろ、人生や勉強や仕事や人間や社会をなめてかかる甘さによって引き起こされた失敗の数々は枚挙に暇がない、つまり、精神一到でとりかからなかったばかりに自他を辛い目に遭わせてきたことがはっきりとわかります。
 還暦を過ぎた一人の人間として、自分の体験上、また、周囲の人々やできごとを眺めるにつけ、古典を学び、歴史を超えて光り続ける言葉をかみしめることの重要さを再認識しています。
 古人の指摘した真理や魂へ訴えかけてくる真実に対して、たかだか100年も生きられない私たちが〈古い〉とレッテルを貼るのは軽率であり、傲慢というべきでしょう。

 そもそも、「精神一到」は、今から700年以上も昔、中国の朱熹(シュキ)という大人物が生前、弟子たちと交わした問答を死後にまとめた書物にある一節です。

「陽気の発する処、金石も亦(マタ)透る、精神一倒何事か成らざらん」

(力に満ちた陽の気が天地に満ちてくれば、金属や岩石といえども気に貫かれてしまう。
 同じように、人間もまた、精神の力を対象へ集中させてとりかかれば、困難を突破できるであろう)
 横綱白鵬関が昇進した際、この言葉を用いて決意のほどを述べました。

「横綱の地位を汚さぬよう、精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」

 さて、昨今、あまりにも〈日本〉あるいは〈日本的〉なるものの復活や復権が叫ばれ出したと思っていたら、体罰問題をきっかけに、今度は武道精神を否定するような言論も見られ、極論が蔓延(ハビコ)る危険性を感じています。
 2月1日付の朝日新聞はサッカーのコーチ池上正氏(57才)へのインタビュー『コーチよ怒鳴るな』を掲載しました。
 途中の小見出しにこうあります。
「勝つのは大切だが 目的は自由の獲得 武道精神と決別を」
 氏は「生活態度のしつけ」とスポーツは「何の関係もない」と断言し、「野球でよく見られる『グラウンドに礼!』」を唾棄します。

「いくら礼をしても、グラウンドはあいさつを返してくれませんよ。
『さあ、きれいに整備して帰ろう』でいいじゃありませんか。
 しつけとも、武道や精神論とも切り離した新しいスポーツ文化を築きたいものです」

「究極の目的は、自由の獲得だと思っています」

 元日本プロ野球とアメリカメジャーリーグの監督を務めたボビー・バレンタイン氏(62才)は言いました。

「日本の高校野球は高度に組織化された素晴らしいシステムです。
 神聖で立ち入ることのできないものです。」

 氏が〈神聖〉と感じているのは、選手たちが、自分だけのための目標にとどまらず、チームのため、支援者のため、学校のため、地域のためといった意識を持ち、〈自由を獲得〉するのではなくむしろ、〈~のため〉に〈個〉を捨てきるほどの純粋さで汗を流しているからではないでしょうか。
 元プロ野球巨人軍の桑田真澄氏(44才)は、「殴られて愛情を感じたことは一度もない」という歴史に残る言葉の後で言います。

「本来、スポーツにおいて乗り越えなくてはならないのは自分自身。
 人から何かをされて強くなるものではない。
 スポーツには体力と技術力と精神力が必要なのであって根性では勝てない。」

 ちなみに、当山では隠形流(オンギョウリュウ)居合の道場を開いており、道場へ入る時も出る時も、必ず一礼します。
 私はもちろんですが、およそお弟子さん方の誰一人として、池上正氏のように道場が「あいさつを返して」くれるかどうかなどという発想はないはずです。
 それどころか、剣を揮う前に必ず、自分の心だけでなく道場の清めも行います。
 こうした作法の伝授と実践があればこそ、誠心を尽くした安全な稽古が可能になります。
 私たち師も弟子も、決して盲目的に作法の奴隷となっているわけではありません。
 先人方による実践の系譜が、私たちの実践によって価値と意義を再確認され、武道の稽古は〈自由の獲得〉などというものではなく、人生の道を照らす灯火の一つをもたらしています。
 
 映画『東京家族』を撮った山田洋次監督の言葉を思い出しました。

「(俳優に)叫んだり、絶叫させたりすると、人間の微妙な気持ちを見詰める繊細な気持ちが観客から飛んでしまう。
 ダイナミックな画面はあえて作りませんでした」

 お釈迦様も、極論を廃して叡智を磨けと説かれました。
 人生の精妙な真理・真実はどこにあるか……。
 声高で極端な議論ではない形で集中力や精神力が真剣に考察され、子供たちの健全な発育に役立つよう祈るのみです。




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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