コラム

 公開日: 2013-02-16  最終更新日: 2014-06-04

定年出家の落とし穴 ─娑婆にいた者の体験から─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





〈朝日新聞さんからお借りして加工した隕石落下の写真です〉


〈『森栖』さんです〉

 最近、定年後の出家が話題になっています。
 お葬式が減って成り立たなくなりつつあるお寺へ住んでもらおうと、積極的に勧める動きもあります。
 また、名刺とやることがないので、「のんびり僧侶でもやるか。でも最初の修行は大変そうだな」といった感じで出家を考える方々もおられます。
 加えて、簡単に僧侶の資格を与えるところも現れました。

 こうした需要と供給のバランスで即席僧侶が生まれ、寺院が隠居者の家になるとしたら、廃寺が減るよりも深刻な事態になりかねないという危惧があります。
 「不惑」とされる40才を超えた頃に出家し〈それまでの自分〉と20年以上の戦いを続けている〈一足早めの体験者〉として、率直な感想を述べておきます。

1 出家は生き直しであり、これまでの自分すなわち、自己流の人生の渡り方を捨て切ることである。

 師から「お前はこれまでで一番、やっかいな弟子だ」と言われたことは忘れられません。
 不如意のままに商売を始め、無一文になるまでの過程で心にこびりついた悪しきものたちは、あたかも甲羅のように固く、本ものの僧侶として生きるためには血を流しつつはぎ取るしかないことを、よく自覚していたからです。
 世間へ出てから20年間、悪戦苦闘する中でつくられた自分流の生き方は、見事なほど、み仏の説かれる生き方とかけ離れており、以後、20年間戦ってなお、戦火は下火になりましたが終熄はしていません。
 40年以上も娑婆の風に吹かれた方々が、老境を迎える頃にそれまでの生きざまを捨てきるなど、簡単にできましょうか。
 自分の人生経験を生かして若い人たちを導こうなどという考えは、〈娑婆からの連続〉が前提となっており、出家者には不要であるだけでなく、そもそも出家の覚悟と相反しています。
 いかに捨てきるかが出家における真剣さのバロメーターであることをよく考えていただきたいものです。
 よく「修行は大変でしょう」と言われますが、どの世界でも練習や稽古が大変なのは当然です。
 学生時代から仏教を学び、座禅も行い、さんざん寺院や宗教団体をめぐり、それでなお出家は遠く、ついに全財産を失ってようやく、み仏に手を引かれるように出家した者として、捨てきる〈覚悟〉と、その後永遠に続く〈過程〉こそが大変であることを指摘しておきます。

2 出家者は、生きられる安易さに負けず、堕落せず、聖職者であり続けねばならない。

 お釈迦様は、『四十二章経』において、仏道を歩む難しさについて二点を説かれました。
「貧窮(ビングウ)にして布施(フセ)するの難(ナン)」
「豪貴(ゴウキ)にして道(ドウ)を学ぶの難(ナン)」
 自分が貧窮し困っていながら誰かのためになろうとするのは、とても困難です。
 同じように、モノ金に恵まれ世間で威勢を張っていながらにして、仏道を目ざすこともまた、簡単ではありません。
 もちろん、例外となる方々は少なからず存じ上げていますが、当てはまってしまった例もまた、数多く知っています。
 いずれにせよ、蓄財や年金によって生活が安定しているのに、そうしたものへすがらず、自分を切り刻むことは容易ならぬことと言えます。
 真剣勝負を行う必要のない方が、切るか切られるかの場へ進んで臨めるでしょうか。

3 他者の死を己の死として受けとめ、別れの悲痛を繰り返し感得し、死者を送る命がけの修法はプロのプロたる部分を研ぎ澄ませる。

 葬式坊主という言葉が広く用いられるようになって久しい感があります。
 しかし、ご葬儀で納められるまとまったお布施は寺院の運営に大きな力となりますが、僧侶は決して、それを当てにして生きるわけではなく、もちろん、それを当てにして修法するわけでもありません。
 無数の死を我が死とすること、無数の悲嘆を我が悲嘆とすること、この恐ろしい役割を担う僧侶は凄まじい業(ゴウ)を背負った者です。
 私は引導を渡す際に、歯を食いしばってしまいます。
 おかげで片方の奥歯は壊れ、もう片方もかなり怪しくなりました。
 歯医者さんから「めり込んで変形しています」と言われましたが、これは、死者を極楽へ渡す真剣勝負の証しであり、自分の悪業をいくばくかは削ぎ落とした結果でもあるような気がしています。
 葬送は、人類の歴史が始まって以来、途絶えることのない高レベルの精神活動です。
 ここを軽視、あるいは無視する〈宗教〉は考えられません。
 宗教者たちに堕落が見られるからといって、宗教行為そのものを貶めるのはいかがなものでしょうか。

4 僧侶は常に神経勝負を行わねばならず、勝負ができなくなれば試合には出られない。

 加齢には克てません。
 勝負できる心技体をいつまで鍛え、整え続けられるか。
 実はこれが定年後の出家における一番の問題です。

 急いで書き連ねましたが、安易にプロを目ざす危険性と、仏法の維持ではなく寺院の維持を目ざすかのような流れに潜む問題点に気づいていただければ幸甚です。
 もちろん、プロにならず、在家において生き直しを行い、生きられる安易さに負けず人の道を求め、他者の死を我が死としつつ生きることはどなたにでも可能であり、仏法の門戸は広く開かれています。
 菩薩(ボサツ)を目ざす出家者は、同じく菩薩を目ざす在家の方々と共に歩んでいます。
 愚考をたたき台にして、人生の最後の日々をどう過ごすかお考えいただければ幸いです。合掌






 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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