コラム

 公開日: 2013-03-16  最終更新日: 2014-06-04

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第131回)─「小説は 死者と生者つなぐ」考(その4)

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。







〈岩出山の『森栖』さん〉

 3月11日付の朝日新聞に掲載された池澤夏樹氏といとうせいこう氏の対談「小説は 死者と生者つなぐ」を読んでいます。

いとう氏
「一人一人を書くということは悼むことかもしれないし、何かにふたをしようとするものへの反抗かもしれない。
 池澤さんは『双頭の船』を故意に軽いタッチで描かれましたね。
 僕のDJもちゃらちゃらとしゃべる。
 客観性があればそこにユーモアが出てくる。
 死者もニヤッと笑うエピソードを書きたかった。」

池澤氏
「深刻にしてしまうと、深刻であることだけで先に行けなくなる。」

いとう氏
「当事者ではないのに深刻になるのは失礼ではないか、という思いもあった。」

 枕経を唱え終わり、ご本尊様から戒名を授かるために故人の人となりを聞かせていただく場面を思い出した。
 喪主様を始め、皆さんを前にして、僧侶は苦を共にする「同苦」の心でありながら、自分も泣きそうな表情になったりせず、穏やかに聴き取りを行う。
 それは、身代わりとなって苦を受ける観音様もお地蔵様も泣いてはおられないのと同じである。
 ことを進めるためには、場をあまり「深刻にして」しまってはならない。
 もちろん、喪主様が言葉につまってしまう場面などはじっと待つが、こちらの気持を場へ入れすぎないように気をつけている。
 いとう氏の言う「失礼ではないか」はよくわかる。
 信念がどうであろうと、世間的なふるまい方としては、所詮は他人という面がいくらかはあった方が場の統一性が保たれ、礼を失しないのだ。

池澤氏
「葬式などの儀式だと、きちんとやったからいいでしょうと納得させられて終わる。
 小説では、向こうへ行こうとしている彼らとともに歩ける。
 どこかでじゃあねといってすっと別れられる。
 余韻が残る。」

 確かに葬儀などの儀式は、心に区切をつけ、次のステージへと向かうきっかけになる。
 当然、なすべきことをきちんと行ったという「納得」が伴わねばならない。
 それには、み仏のお力により、故人が迷わずにこの世からあの世へ行けるよう引導を渡す場が異次元と接していることを、送る方々に実感していただかねばならない。
 導師がみ仏と一体になる修法は、逝く方へも送る方々へも区切の感覚をもたらし、納得への扉を開く。

 氏の言うとおり、儀式はその場で完結する。
 僧侶もまた、そこで〈終わり〉にしているのだろうと一般的には思われているらしい。
 しかし、私はそう考えてはいない。
 年忌供養などを押しつけはしないが、葬儀は始まりであると考えている。
 送られた方が十三仏様に導かれ、あの世で清められ休息をとり、やがては転生の準備をされるのと同じく、送った方々は、身近な人の死を契機として心に供養という新たな流れが起こる。
 数珠を持ったことのない人が数珠を手にし、お線香を点しては精進を誓い、水を供えては布施を誓い、花を挿しては忍耐を誓い、そうして生きることによって先に逝かれた方への報恩を実践しようとする。
 僧侶は決して出しゃばらないが、いつでも皆さんの流れが順調であるように願いつつ、必要とされればできることを行う。
 気配もなく、ふり返れば常に在る影のようでありたいと願っている。

いとう氏
「音楽や映像ではなく、文字という簡素な、ある意味貧しいメデイアであるが故に、生きる時間とも弔いともリンクがはれる。
 本という形だからこそ、開くたびに、亡くなった人の声や無念が立ち上がってくることを祈ります。」

 池澤氏は「余韻」、いとう氏は「立ち上がってくる」と言った。
 小説の真骨頂は思いの追体験にあるのだろう。
 過去の人々や仮想された登場人物たちが、小説家の筆力によって永遠のいのちを得る。
 高任和夫氏の『光琳ひと紋様』、神部眞理子氏の『玉の緒よ』といった作品では、登場人物たちの生(セイ)の饗宴や哀愁が読者の脳裏へありありと甦る。
 読者は彼らのいのちに伴っている思いと心の音叉が共振し、霊性が活性化する。

 宗教においては経典が似た役割を果たす。
 経典は、見えるものや聞こえるものなどを真実のありようとは異なった形でとらえさせる煩悩(ボンノウ)という勝手なフィルターを外し、瑞々しく安心な世界にいることを思い出させる。
 経典に導かれて心が自己中心を離れる時、過去の人であれ仮想された人であれ現実に生きている人であれ、誰かのためによかれと願いつつ生きる人の魂や誰かのために自分を捨てる人の魂から強く訴えかけられ、奮い立つ。
 
 文字は、音楽や映像のように、華々しく瞬間的な刺激をもたらしはしない。
 しかし、文字を扱うもののうち特に新聞や本は、紙の手触りや匂いに始まる総合的な訴えかけにより、静かで深い印象を与える。
 そして、小説も経典も、読み手の心に従い万華鏡のようにさまざまな面を見せる。

 私は、『光琳ひと紋様』を読んでから、尾形光琳の『紅白梅図屏風』をときおり観るようになりました。
 また、『玉の緒よ』を読んでから、月照の一句「世の中に 生きとし生けるものは皆、ただ玉の緒の 長かれとこそ」が一段と身に迫るようになりました。
 どんな時も『理趣経(リシュキョウ)百字偈(ゲ)』は背骨をシャンとさせてくれます。
 よい書物に親しみ、経典を宝として、死者とも生者とも、共に生きようではありませんか。






 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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