コラム

 公開日: 2013-04-03  最終更新日: 2014-06-04

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第132回)─まごころで他者の悲しみを悲しむ─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






〈行者ニンニクの研究者からたくさんの贈りものをいただきました〉

 3月8日、ウェブサイトの「行方不明者の家族の方へ」を参照し、「つながり」や「話し相手」について考え、「あいまいな喪失に悩む方々へ」を書きました。
 しかし、ご本尊様の前で涙ぐむ方々と接しているうちに、小林秀雄の言葉を思い出しました。

「死者は去るのではない。
 還って来ないのだ。
 と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。
 それは、死という言葉と一緒に生まれて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。」

 これは、本居宣長について書いた文章の一部です。
 人は悲しみを体験させずにこの世を去れないし、悲しみを体験することによってしか、人を去らせられないというのです。

「死という物の正体を言うなら、これに出会う場所は、その悲しみの中にしかないのだし、悲しみに忠実でありさえすれば、この出会いを妨げるような物は、何もない。」

 悲しみによって死者は死者となり、送る者もまた、悲しみによって死者を死者として送り出せるのです。

 あいまいな喪失には、こうした「烈しい悲しみ」がなかなか生じません。
 それは、不安や疑問、あるいは希望があるからです。
 では、客観的に99・9パーセント生存の可能性がなく、次のステップがどうしても必要になったならどうすればよいか?

 他人の死を心から深く悼むことです。
 そこにある悲しみをそのまま、すなおな心で悲しむことです。
 そうすれば、やがて、悲しみが〈我がこと〉と重なる瞬間がくるのではないでしょうか。
 そのためには、引き比べるのをやめねばなりません。
 誰かの生存を見聞きしては引き比べ、誰かの死を見聞きしては引き比べていれば、他者の生も死も〈そちら側のできごと〉でしかありません。
 誰のものであっても生の喜びを我がこととして深く喜び、死の悲しみを我がこととして深く悲しむのです。
 そうすれば、やがて、悲しみの中に愛しい人の死がたち顕れてくるかも知れません。
 霧に隠されていた真実との〈出会い〉があるかも知れません。

 もちろん、真実は生にあるかも知れないし、死にあるかも知れません。
 いずれにせよ、たとえ辛くとも真実へ迫る王道はここにあるのではないでしょうか。

 小林秀雄は、さらに書きました。

「宣長の考えによれば、『禽獣よりもことわざしげく』、『物のあはれをしる』人間は、遠い昔から、ただ生きているのに甘んずる事が出来ず、生死を観ずる道に踏み込んでいた。
 この本質的な反省の事は、言わば、人の一生という限定された枠の内部で、各人が完了する他ないものであった。
 しかし、其処に要求されているような根底的な直感の働きは、誰もが持って生まれて来た、「まごころ」に備わる、智慧の働きであったと見ていい。」

 本居宣長はこう考えていたというのです。
「言霊の宿る言葉をけだものたちよりもよく用い、時の経過に伴うもののあわれを知る私たち人間は、遠い昔から、ただ生きる方向にのみ夢中になって過ごすのではなく、生と死の全体を深く考え、そこにある真実を観ながら生きるという霊性に導かれる道を歩んできた。
 こうした私たちの本質、生と死の本質を省みるといったことごとは、人それぞれが限られた人生の中で、できるところまでやり尽くす以外ない。
 しかし、そもそも、この道に必要な根底的直感は、誰もが持って生まれてきた『まごころ』に備わっている智慧のはたらきなのである。」

 まごころとは、他者の喜びを本心から喜び、悲しみを本心から悲しむまっさらな心です。
 その鏡に真実がありありと映るのは、当然ではないでしょうか。





 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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