コラム

 公開日: 2013-04-17  最終更新日: 2014-06-04

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第133回)─過去がぺしゃんこになったという意識─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 公開セミナーでの質疑応答です。
 プライバシーを守りながら、補足し、要点を書きとめておきます。

質問5 別に親戚が亡くなったり、モノを失ったりしたわけではないのに、大震災で自分の過去がぺしゃんこになってしまったという気がしてなりません。
    2年以上経っても、今後の生き方がわからないままです。

回答5 私たちは、無意識の裡(ウチ)に、過去の延長としての今を生き、今の延長としての未来を考えています。
    もしも過去が消えたならば、誰にとっても〈この先〉は〈手探り〉となります。
    あなたの「過去がぺしゃんこ」という感覚と、不安はきっと、たくさんの方々が共有しているものと思われます。

 誰にとっても、過去はすでにないのですが、過去の時間があったことだけは確かなので、それが縁(ヨスガ)となり、今の心に一種の安定感が保たれています。
 こうすれば何とかなる、こうしては危ないなどの判断基準となる何かが、過去の影響力として心に具わっているからです。
 その人なりのこうした基準がなくなれば、私たちはすべて、新たに考え、判断せねばなりません。
 それは、気の遠くなるようなお話です。

 しかし、よく考えてみると、過去が消えたというのは、見聞きする映像や声や音によって生じた観念であることがわかります。
 
 私はこの道へ入ってすぐ、托鉢を始めましたが、今回津波で流された海岸線沿いの町や村や集落は、托鉢の日々を文字どおり支えてくれた地域でした。
 だから、どこを訪ねても空虚な空間しか残っておらず、無が支配している砂浜や草むらでの祈りは、私にとって過去の消滅を確認させるようなものとなっています。
 では、私の過去はなくなったのでしょうか?
 確かに、陽焼けした無口な漁師や、人なつっこい民宿のおばさんや、奧の暗がりから持ち出してきた鳥かごに囲われた野鳥をこっそり見せてくれたお爺さんや、「婆のきたねえ手で作ったんだけど……」と言いながら漬け物とお茶をふるまってくれた腰の曲がったお婆さんや、「これから何するの?」と訊ね、座って聴き終わったらリンゴをくれたおかっぱ頭の少女や、充分に傾きかけている家や、昼食を摂った松林は消え去りました。
 でも、帰り道に車の中で、ジュリーロンドンが唄う「想い出のサンフランシスコ」を聴くともなしに聴いていて想いました。

「 I left my heart in San Francisco」
 ここで言うところの「心を残してきた」サンフランシスコは、たった今、現実に〈存在しているはずの〉サンフランシスコなのだろうか?
 空の星々を目ざして登るかのような小さなケーブルカーも、風が吹き渡る蒼い海も、そして太陽のような情熱を秘めて待っていてくれる恋人も、〈そのように記憶されている〉サンフランシスコに在るのではなかろうか?
 麗しいパリで哀愁に呑まれ、栄光あるローマで寂寥感に潰され、マンハッタンでは孤独だった主人公にとって、「帰りなん、いざ」と思い立つサンフランシスコは、そう思えるだけで幸せな場所なのではなかろうか?
 実際に帰られようが帰られまいが、そのこと自体が強く希求されるのではなく、そう思うこと自体が私たちの心へ懐かしさを伴った何かを浮かび上がらせるからこそ、また、浮かび上がる何かが心をいくばくか暖めるからこそ、この歌が忘却を免れ歌い継がれているのではなかろうか?
 さっき眼にした無となった場所は、〈サンフランシスコ〉が実際にはなくなったことを突きつけた。
 しかし、私の脳裏には依然として、漁師も、おばさんも、お爺さんも、お婆さんも、少女も、家も松林も、在る。
 すべてが無くなったと確認したばかりの今も、余計にはっきりと、在る……。

 書道家高橋香温先生の作品に「さくら貝」があります。
「さくら貝
 いつまでも
 宝石みたいに
 輝いてた
 あの夏の日」
 こんな言葉が添えられています。
「毎日が楽しかった日
 友達とたくさん遊んだ日
 無邪気に過ごした日
 耳にあててごらん
 笑い声が聞こえるでしょう」
 家族がいなくなり、友だちがいなくなり、浜がなくなっても、どこかで眼にし、手にするさくら貝が記憶をよみがえらせます。



 冒頭のご質問へ戻りましょう。
 やはり、過去がぺしゃんこになったというのは、観念上のできごとでしかなく、過去の中でも肝心な部分は、これからよりいっそう鮮明さを増すかも知れません。
 記憶は元々、実在によって保証される筋のものではなく、むしろ実在とは無関係に在り、心の蔵にしまい込まれたフィルムの一枚一枚が当人の思惑を離れて心の彩りに関わっています。
 これまでの人生に縁のあった人やモノやことごとがなくなったからといって、〈これまでの人生がなくなった〉わけではありません。
 そして、ふり返ってみれば、自分の思考、感情、好み、身体、すべてが過去を因とし、縁として今、ここにあります。
 たとえ一瞬後に世界が崩壊したとしても、自分という意識がある限り、そのありようは何ら変わりません。
 私たちは、何がどうあろうと、淡々と生を営み続けることでしょう。
 過去の全てを因とし、縁とし、今のできごとや意志を因とし縁とし、いのちと心は未来の時間へと流れ込み続けることでしょう。

 こうした真実をふまえた上で、地震や津波や原発事故により〈確かでないと明らかになった〉ことごとへ誠実に対応してゆきたいものです。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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