コラム

 公開日: 2013-04-19  最終更新日: 2014-06-04

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 ─喪失と復活の物語─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 村上春樹氏の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売一週間で100万部を売り上げたという。

1  私たちは生きつつ何かを得、一方で、何かを失う。
 人生経験が積まれるということは、感性などが当初の輝きを失って行くことでもある。
 モノを斬った剣には必ず曇りが付く。
 そして、研ぐ方法を思いつかないだけでなく、輝きを失った剣はもはや剣ではないと錯覚する場合がある。
 特に若い頃は、たった一筋の曇りが輝きの全体性を損ねたゆえに、剣にはもはや価値がなくなってしまったとも思う。
 作者は書いた。

「自分が死んでいることにまだ気づいていない死者」
「彼は自分でありながら、自分ではなかった」

 やがて意識が自分の肉体から離れ、「自分を離れる」「自らの痛みを他者のものとして眺める」などの状態にも至る。
 私も、東京の安アパートで窓に黒い布を貼り、幽体離脱をはかった体験があるのでよくわかる。
 何かを喪失したということと、自分が無くなったこととはまったく別ものであると知っているのに、失ってなお〈居る〉自分に現実感が持てない。
 若い頃は、無限の可能性をどこかで感じていながら、時として、たった一つの喪失によってすべての可能性が消えてしまったと思い込んでしまう矛盾の淵を歩いている。
 失いながら得て、得ながら失っている、と自分で気づくには、奥歯をかみしめながらも多少の長さを生きてみるしかない。

2  また、自分には何か他の人々と強く違っている部分があるからこうなったと思い込む場合がある。

「自分の中には根本的に、何かしら人をがっかりさせるものがあるに違いない。」

 主人公の場合は「自分は色彩を欠いている」と感じている。

「これという個性もなければ、鮮やかな色彩もない。
 こちらから差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない。
 そのことがずっと昔から僕の抱えていた問題だった」

 しかし、文中に、こうした人物が登場する。

「人間は一人ひとり自分の居ろというものを持っていて、そいつが身体の輪郭に沿ってほんのりと光って浮かんでいるんだよ。
 後光みたいに。
 あるいはバックライトみたいに。
 俺の目にはその色がはっきり見える」

 戒名は基本的に三つの熟語から成っている。
 一番上にあるのが「~院」という院号である。
 それは古来「総徳」を表すとされている。
 私は、ご本尊様から戒名をいただくために祈りつつ、そこには〈魂の色合い〉が出ると感じるようになった。
 だから、人生相談や講演などで「院号を目にして魂の色合いに感応すれば、より、通じることでしょう」と言う。
 そして、要りませんというご要望がない限り、院号と、この世で生きた道が顕れる道号(ドウゴウ)と、あの世の旅の宝ものである法名(ホウミョウとの三つに構成される戒名をご本尊様から授かり、お伝えしている。
 ちなみに、阿久悠は「天翔」、尾崎豊は「頌弦」、石原裕次郎は「陽光」、宮沢賢治は「真金」、本居宣長は「高岳」、大石内蔵之助は「忠誠」、徳川家康は「安国」である。
 主人公を昔の仲間が励ます。

「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」
「自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当には誰にもわかりはしない。
 そう思わない?
 それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。
 誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」

 人には必ずその人ならではの色合いがあり、同時に、人は必ず他者の喜びも悲しみも入れる容器を持っている。
 事実、生者であっても死者であっても、誰かをかけがえのない誰かとして認識する時、私たちは魂の色合いに感応しているし、私たちは誰かに喜びを分かち合ってもらい、悲しみも分かち合ってもらいつつ、ようやく日々を生き延びている。

3  深い喪失感は、泥沼を生き延びることによって貴重な体験となる。
 失ったものに真実があったならば、それは真実を体験した者の心から消え去っていないことに気づく時が来るからである。
 自分自身への自信のなさは、そこにある謙虚さという徳が、思いやりと理解力のある人に発見された時、大いに輝き、真の絆をもたらしもする。
 誰かに支えられていることに気づかない人はいても、誰にも支えられていない人など一人もおらず、気づいている人にこそ、因果応報の理によって、気づきにふさわしい幸いが訪れるからである。
 出版不況と言われているこの時代に、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」があだ花でなく、救世主であって欲しいと願ってやまない。

 今日の守本尊様の真言です。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM
 




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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