コラム

 公開日: 2013-04-23 

無視は精神的殺人である ─シベリア抑留の話と村上春樹の新作─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 昭和46年、詩人石原吉郎氏は「望郷と海」を発表しました。
 太平洋戦争後、重労働25年の判決を受け、シベリアで抑留されてから帰国するまでの思いが綴られています。

「私がそのときもっとも恐れたのは『忘れられる』ことであった。
 故国とその新しい体制とそして国民が、もはや私たちを見ることを欲しなくなることであり、ついに私たちを忘れ去るであろうということであった。
 そのことに思い到るたびに私は、背すじが凍るような恐怖におそわれた。
 なんど自分にいいきかせてもだめであった。
 着ている上着を真二つに引裂きたい衝動に、なんども私はおそわれた。
 それは独房でのとらえどころのない不安とはちがい、はっきりとした、具体的な恐怖であった。
 帰るか、帰らないかはもはや問題ではなかった。
 ここにおれがいる。
 ここにおれがいることを、日に一度、かならず思い出してくれ。
 おれがここで死んだら、おれが死んだ地点を、はっきりと地図に書きしるしてくれ。
 地をかきむしるほどの希求に、私はうなされつづけた(7万人の日本人が、その地点を確認されぬまま死亡した)。
 もし忘れ去るなら、かならず思い出させてやる。
 望郷に代わる怨郷の想いは、いわばこのようにして起こった。」

 死んだ地点を思い出させようとする死者の思いは確かです。

 以前、変死が続くお宅の供養にでかけたことがあります。
 直近の火事で亡くなられた方の思いに引かれて庭を歩いたところ、どうしても強く訴えかけてくるものを感じた場所がありました。
 しかし、発表されている〈発見場所〉は、ずれています。
 やがて、その様子を見ていた近親者のお一人から、隠されている真実を教えていただきました。
 真実を胸に納めながら、代々の遺影が見守る大きな仏間でご供養した岩手県の山里は忘れられません。

 自死された方をご供養し、現場を清めるためにでかけました。
 経机を持ったまま足が向かったのは、ある部屋の外れでした。
 通常は北向きのしかるべきあたりに修法の場を定めるのですが、その時はご遺族にお尋ねすることもなく決まりました。
 実は、経机を置いた所から壁一枚を隔てた狭い廊下で故人が臨終を迎えていたのです。

 太平洋戦争で散華されたご英霊のご遺骨収集を続ける渡邉拓氏や同志の方々に接していると、〈通じる人へは通じてきている〉と感じさせられます。
 もちろん、皆さんは「見える」「聞こえる」などという怪しい話は一言もせず、黙々と活動を続けておられますが、その志は、決して生者の思いつきによるのではなく、生者にとっては無言でしかない死者の声が生者の魂へ訴えかけてきてこそ生じているのだと確信させられます。
 文章にある「思い出してくれ」「思い出させてやる」そして「怨郷の想い」は不滅の力を蔵しています。
 4月22日、政府はようやく硫黄島にある自衛隊基地の滑走路を移設する作業にとりかかりました。
 かねて滑走路の下には2千柱から3千柱のご遺骨が埋まっているとされていながらここまで放置されてきたのです。
 これもまた、あまりにも辛く哀しい「怨郷の想い」のなすところではないでしょうか。

 さて、石原吉郎氏の恐怖は、生きながらにして故国と国民から〈いない者〉として扱われることに発しています。
 その方法は、忘れ去られることです。
 氏は、生きている人間として、国家の命令で異国にいる日本人として、とても耐えられません。
 死んだなら、「死んだ地点を、はっきりと地図に書きしるしてくれ」、そして、「望郷に代わる怨郷の想い」とは何と凄まじい言葉でしょうか。
 こうして立ちすくむ時、いつも、氷の刃のように想念に浮かぶのが「しかと」という流行語です。
 そもそもはヤクザがそっぽを向いたり無視したりする時に用いる隠語だったのが、子供の世界で仲間はずれにする「無視」を意味するようになり、今や、日常語とてして広く認知されてしまいました。
 この言葉に非人間性を感じるのは、生きている人をいない人として扱い、生きながらにして魂を殺す行為だからです。
 石原氏が味わった恐怖感をある日、よりによって仲間から与えられれば、自分の存在そのものを自ら消したくなるほど〈生の力〉は奪い去られてしまうことでしょう。

 村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も、絶交に端を発した物語であり、主人公はこうした状態に陥りました。

「実際に自殺を試みなかったのはあるいは、死への想いがあまりに純粋で強烈すぎて、それに見合う死の手段が、具体的な像を心中に結べなかったからかもしれない。」

 主人公は、励ましを受けてかつての仲間の心を訊ね、自分の心に変わらず息づいている活き活きとした自分がいることを確認して立ちなおろうとします。
 しかし、そこまでの道のりは、いつ、死へ反転してもおかしくない危険な日々でした。
 
 私たちは、流行言葉に鈍感になってはいけないのではないでしょうか。
 それは、悪しき言葉なら、その悪に慣れてしまうことを意味するからです。
 どう考えても「しかと」はあまりにも禍々(マガマガ)しく、子供たちが平気で用いている現状にはこの世の地獄がかいま見られ、恐ろしくなります。
 石原吉郎氏や渡邉拓氏や村上春樹氏に学び、無視される恐怖、忘れる非情、無視する悪の深さをよく考え、「しかと」という言葉を過去へと追いやりたいものです。

 今日の守本尊大日如来薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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