コラム

 公開日: 2013-05-02  最終更新日: 2014-06-04

他の寺院でご葬儀を行えば先祖代々のお墓へ納骨できないか(その2)

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






【できごと1 Aさんは菩提寺へご葬儀を依頼しませんでした】
 
 Aさんの判断はただ一つ、「この住職へは大事な親のあの世を任せられない」ということでした。
 あまりにも問題が多く、檀信徒として住職をまったく信頼できなかったAさんは、思案のあげく、常々、活動に納得していた他寺院の住職へご葬儀を依頼しました。
 み仏のご加護は相手を選ばないという信念の住職は淡々と引き受け、引導を渡しました。
 母親への報恩を含めまことの宗教行為としてご葬儀を行おうとしたAさんには、他の選択肢はありませんでした。
 引き受けた住職にもまた、救済を断る本質的理由はありませんでした。

 もしも、寺院側が「檀家さんが旦那寺へ葬儀料や戒名料を納めてくれないとやって行けない」と言うならば、それは「マッサージをしてあげたのに料金を払ってくれないと困る」という娑婆の経営と同じ考え方であり、出家者の思考法ではありません。
 確かに営利活動を行わない寺院が成り立つためには、檀信徒さんからのお布施が欠かせません。

 では、お布施とは何でしょうか?
 寺院に三宝がなければならないと同じく、お布施が真のお布施であるためには、三つの条件を満たしていなければなりません。

・お布施をする側が清浄であること
 寺院との関わりによって救われる檀信徒さんは、感謝の気持を込めて、自主的に、ご本尊様へ何かを納めます。
 それはお金だったり、食べものだったり、あるいは労力だったりします。
・お布施を受ける側が清浄であること
 お布施をいただくのがご本尊様である以上、お仕えするご本尊様がいただいたお布施を管理する立場の僧侶が多いとか少ないとか言うべきではありません。
 また、納める側の自主性を確保するためにも、特殊な場合を除き、請求や強制といった形をとってはなりません。
・受け渡されるものが清浄であること
 盗んだお金や、腐った果物や、手抜きの作業や、惜しいという気持など、穢れをまとったものはご本尊様へ捧げられるべきではありません。
 また、オウム真理教が出家を望む人へ全財産の提供を求めた例に見られるとおり、家族や関係者へ苦痛や混乱や不満や不安や怒りや憎悪をもたらしてまで納められるものは穢れています。
 
 そして、僧侶とは何でしょうか?
 あまりにも当然ながら、〈娑婆の原理〉ではなく〈み仏の世界の原理〉に心身を委ね、み仏と衆生(シュジョウ…生きとし生けるもの)へお仕えすることに全身全霊をかけるべく、生き直しを行った者です。
 生きながらにして一回死ぬ存在なので白装束をまとい、み仏の世界の名である僧名(戒名における最後の熟語)を受けるのです。

 ならば、僧侶は、ご本尊様と寺院を守り、ご本尊様へ納められる真のお布施に寺院の維持と自分の生活をかける以外、生きようがありません。
 建物が朽ちるか、それともご本尊様のご威光にふさわしいものとなるか、あるいは、食うや食わずの生活になるか、それとも幅広く勉強や社会活動もできるような生活になるか、こうしたすべてのことごとはご本尊様からいただいた結果として受けとめ、修行に励むのみです。
「お葬式が少ないからやって行けない」などとは口が裂けても言うべきではありません。
 なぜなら、お守りくださっているご本尊様を非難するか、自分の未熟さ加減を他人様へ披瀝することになるからです。
 出家した以上、もしも、誰の何の協力もなく、ご本尊様の前で祈ったまま死んだなら、それもそれとしか言いようがありません。
 四国八十八霊場を歩くと、路傍に立つ小さなお地蔵様や観音様が苔むして、あるいは崩れたり斜めになったりし、あるいは半分土に埋もれて、お遍路さんを見守っています。
 そうしたお地蔵様も観音様も、そもそもは、白装束で歩きつつ寿命が尽きたお遍路さんたちを弔うために建立された方々なのです。
 娑婆の方々がこうして信仰心をまっとうしておられるのに、プロである僧侶が収入の不足を嘆き、あろうことか誰かの死を待つなど、あってはならぬことです。
「そんなのは理想論だ」との声が聞こえてきそうですが、確かに理想論ではあっても机上の空論ではありません。
 当山が理想を求めて何もないところから開山し、ここまで来たのはまぎれもなく現実だからです。
 
 以上の理由から、Aさんの判断は正しかったと考えられます。
 もしも、仕方なくこれまでの寺院へ依頼していたならば、導師を信じられないのに形だけとり繕うという死者を愚弄するあってはならない宗教行為を行うところでした。
 このできごとは、寺院の側から見れば、お布施を得る機会が一つ失われたことになりますが、その責任は100パーセント寺院の側にあります。
 なぜなら、信頼を失ったことが決定的な要因だったからです。
 こうした理を脇へ置き、「檀家なのだからご葬儀は任せなさい」、「他の寺院へ頼むのはけしからん」と主張するならば、信仰心よりも寺院の都合や損得を優先させることになりはしないでしょうか。

 次回は、納骨の問題を考察します。
 
 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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