コラム

 公開日: 2013-05-08  最終更新日: 2014-06-04

宗教的救いと宗教を超えた救いについて ─仙台稲門会にて(その2)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。







 5月7日に行った仙台稲門会でのお話についてまとめています。

3 宗教が後退する時代

○聖職者であることの困難

 托鉢行を初めてすぐ、お訪ねするお宅の方々から、寺院に関するさまざまなご意見をお聞かせいただきました。
 驚いたのは、皆さんが願っておられないスタイルで法務を行う僧侶や寺院が多いことでした。
 なぜ、み仏にお仕えし、長年の修行や法務に励んできた方々が、檀信徒からの信頼を失っているのか?
 当初は不思議でなりませんでしたが、ほどなく気づきました。
 人格は多少の修行などで簡単には変わらないし、出家したからといって、自己中心的な心のはたらきから容易には抜け切れないのです。
 仏法は、煩悩(ボンノウ)を抜けきって悟りを開くまでにかかる時間を阿僧祇(アソウギ)などの単位で示しますが、それは10の59乗や104乗などというとてつもない時間であり、感覚的にはもはや、無限とあまり変わりない世界です。
 あるいは劫(コウ)という数え方もあります。
 それは一辺40里の岩石を天女が3年に一度、羽衣で撫でてすり減ってしまうまでの時間とされています。
 いずれも、〈抜けきる〉ことがいかに容易ではないかを示しているのだと実感されました。
 悟りを求めない仏教の修行はあり得ないので、とんでもない目標を立ててしまったことになりますが、そうと知っても別にへこたれもしなかったのは、無一文になっていて怖いものがなかったのと、お大師様が即身成仏(ソクシンジョウブツ)を説いておられたからであろうと、今になって思います。

 皆さんの目から見た仏教界の姿を知り、「こうであって欲しくない」「こうあって欲しい」という本音をしっかりとお聞かせいただいたことは、修行の航海を始めたばかりの無知な行者に揺るぎのない羅針盤をお与えいただいたことでもあると、今になって感謝は増すばかりです。
 托鉢先として毎年お支えくださった沿岸部の地域は今回の津波で壊滅しました。
 しかし、一介の行者に託された皆さんの思いは私の胸に刻まれており、決して消えはしません。
 私は時々、「皆さんから聖職者であるとお認めいただけるか?」と自問し、チェックします。
 いかに未熟であろうと、行者としてピュアでありたいと心から願っています。
 そうして精進するしか、私にとって真の供養の道はありません。

 また、師から指導を受け、自分を省みて気づいたのは、壁に突き当たった際に、経典へ救いを求めて突破するのは難しく思え、娑婆の判断基準や、やり方へ逃げたくなるという問題でした。
 特に、娑婆に長く居てから出家した私のような人は、娑婆のやり方で利を得たり、困難を回避したりする〈流儀〉が強く染みついているので、それを捨て切るには容易ならざる決心と努力を必要とします。
 自分の中に娑婆の行動パターンが根強く巣くっている事実を観て、〈抜けきれない人々〉がいるのがよくわかるようになりました。
 うまくやりたい気持を抑え、自分が得をしたいと思わず、聖職者として恥ずかしくない法務を行うためには、原理・原則つまり、経典に照らしてみるしかありません。
 それは、それまでの自分から脱皮せねばならないので苦しいのですが、皮が一枚むけるたびに、楽になります。
 たとえばスイマーであれ、歌舞伎役者であれ、廻りからは実にスムーズで流れるような動きにしか観えないのと似ています。
 大変なレベルのことが〈いつものように〉やれているのです。
 大一番に望む心境を訊かれた大相撲の力士や野球の選手がよく「普段通りやるだけです」と答える、あの状況です。
 流れるような動きで〈自然に〉結果が出た時、その陰には、一枚、また一枚とむいた皮の残滓が見えない山となっているに違いありません。
 行者もまた、真の聖職者へと向上して行くためには、一生、脱皮を続けなければなりません。

 こうしたことを考えると、檀家制度的な仕組みによって守られている伝統仏教寺院で勤める者は、生きて行くという面からみれば、自分に厳しくせねばならない場面が少ないのかも知れません。
 自分の愚かさやつたなさを直視し、周囲の方々からの声に心を開く当然の努力は、自分が強い意志でやるかやらないか一つにかかっています。
 キリスト教など他の伝統的宗教においても、似た事情があるやに思えます。
 莫大な資金の管理がどうなっているか、あるいは閉ざされた組織と聖地の内側にいかなる人間模様があるか。
 100年以上も昔、イギリスの思想家ジョン・アクトンは「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」と言いました。
 システムがどんどん精緻になり、システムとそこに生きる人間の存続が容易になればなるほど、堕落が生じる可能性が高まるのは人間の性(サガ)なのでしょう。

 煩悩の根深さ、世間へ逃げたい弱さ、特権的立場というかんちがい、聖職者はこうしたものをよくよく見すえて励まねばなりません。
 自分にも、宗教界にも、大いに危機感と緊張感を持ちつつ法務に励んでいます。
 
 今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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