コラム

 公開日: 2013-06-03  最終更新日: 2014-06-04

宗教行為とお布施について考える

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






〈皆さんのまごころが咲きました〉

 当山では現在、「みやぎ四国八十八か所巡り道場」を創建するためのご寄進を募っています。
 ご縁の方々へ趣意書をお配りしていますが、眼にされた方々の間でさまざまな波紋が起こっているようです。
 当然のことながら、金額を決めた強制的やり方ではなく、あくまでも自在にご検討くださいという内容ですが、中には違和感をと感じた方もおられたようです。
 そこで、当山の真意を明確にしておきます。

 かねて、こうしたご意見はたくさん、いただいています。
「ご葬儀であれ、戒名であれ、ご供養であれ、ご祈祷であれ、人生相談であれ、法務に関するお布施の金額を決めた方がわかりやすい。
 その方がお寺への不安や不信や疑問の元を払拭できる。
 今の時代に合っている」
 すべて当山を思ってのことであり、皆さんのお気持には深く感謝しています。

 しかし、当山がそうした方法を採らないのは、何よりも、皆さんに〈考えていただきたい〉からです。
 ご葬儀とは何か?お戒名とは何か?ご供養とは何か?ご祈祷とは何か?人生相談とは何か?
 ご自身はそれに対していかに真剣な気持でいるか?
 そして、それは自分にとって人生上、いかなる価値があるか?
 もしも非日常的なものなので勘がはたらかない時は、日常生活で行う食事や、旅行や、衣装やテレビや車の購入などと比較してみれば、見当がつくことでしょう。
 また、自分はその価値を鑑みて、いかなるお布施を差し出せるか?
 具体的な数字を頭に我が身をふり返ってみると、さまざまな気持が起こります。
〝こんなに出すのは惜しい〟
〝今の自分にはこれしかできないのが残念だ〟
〝これならご本尊様に対して恥ずかしくない〟
 こうした過程のすべてが、宗教によって思考と情操を深め、徳を高める貴重な機会です。
 そう断言できるのは、私自身が娑婆にいて景気の良かった頃、無一文になって落ちぶれた頃、出家して修行を始めた頃、そして現在に至るまで、宗教的意識から財物を手放す行為と心の動きについて、体験と観察を重ねてきたからです。
 煩悩に流される自分、煩悩と闘う自分、煩悩と共存する自分、煩悩を衣替えさせた自分……。

 さて、私たちはどうしても〈相場〉に頼りがちです。
 それは、ご本尊様に対して失礼のないようにという心配りであり、尊い心の動きです。
 しかし、その一方で上記の過程を飛ばしてしまい、楽ではあっても、心は深まりません。
 もの惜しみという煩悩(ボンノウ)との対決と、これで恥ずかしくないという決断とがなくなるからです。
 そして、非日常的な宗教行為を〈慣習〉や〈世渡りの礼儀〉で終わらせてしまいかねないからです。
 どこか、問題集の答をすぐ見てしまうのと似ています。

 楽に、この段階で終わらせてしまおうとする心理につけ込む人々がいます。
 高い・安い、要る・要らないといった日常的・功利的尺度で宗教行為を計り、安い方がよい、ない方が気楽、といった方向へ導こうとする人々です。
 しかし、本来、葬送などの非日常的な宗教行為は、食う、寝る、遊ぶといった感覚の延長でとらえきれるものではありません。
 はからずも、東日本大震災がそれを証明しました。
 あの時、お骨を抱えて当山を訪れた方々はただ一人の例外もなく、こう願っておられました。
 「自分にできる限りのことをして、安心させたい」
 当山は当然、お布施の金額にかかわりなく、できる限りの修法をもってお応えしました。
 相場も、功利的尺度も、入り込む余地はまったくありませんでした。
 あまりにも厳しく悲しい形で訪れた非日常的状況の中で、非日常的な宗教的願いが起こり、宗教行為が行われました。
 そして、葬送は、たとえ平穏な状況にあっても、まぎれもなく非日常的宗教行為でしかないのです。

 寺院にとって、ご葬儀もご祈祷も人生相談も日々、淡々と行われる法務ですが、決して日常的にはなり得ません。
 亡くなられた方、送られる方にとって、引導を渡されるのは非日常的状況だからです。
 ガンに負けないで仕事をやり抜きたいと願う方にとって、ご本尊様のご加護を受けるのは非日常的状況だからです。
 岐路に迷う方にとって、ご本尊様と一体になった行者の意見を聞くことは非日常的状況だからです。

 同じように、「みやぎ四国八十八か所巡り道場」といかに関わるかもまた、非日常的、宗教的な問題です。
〝四国へ行けない方々が祈りを込めて歩く聖地。
 そこに関わるのは自分にとって何ごとなのか?〟
 写真や趣意書をご覧になられ、どうにも関心が持てないならば、どうぞご放念ください。
 もしも、当山の志への共鳴を形にされたいならば、どうぞご随意にご協力ください。
 当山は、ことの成就を願うのと同じくらい真剣に、皆さんに考えていただくことを願っています。
 そして、皆さんのご判断は、たとえ放念されても、小さな金額の納入でも大きな金額の納入でも、等しく尊重し、これまでと変わりなく平等に皆さんのご守護を願って法務に邁進します。

「宗教行為へは宗教的心で真剣に向き合っていただきたい」
 これが、弘法大師すなわち「法を弘める偉大な師」の法灯に連なる一末徒の願いです。



〈皆さんの願いが書かれた護摩木によって行われる例祭。炎が曲がるのは風のせいではありません。横の灯明は垂直に燃えています〉

 今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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