コラム

 公開日: 2013-07-06  最終更新日: 2014-06-04

新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど── ─どう生きるか─

おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 〈昭和23年、太平洋戦争の敗戦直後に刊行された啄木の歌集:アマゾンさんの写真を加工しました〉

 明治44年、未来を求めて東京へ移り住んでいた26才の石川啄木は、『早稲田文学』にこの一首を発表した。

「新しき明日の来(キタ)るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど──」

 明治43年、幸徳秋水など12名が処刑された大逆事件が起こり、独自に調査した結果を「次代閉塞の現状」などの論文にまとめたが、新聞社に掲載を拒否されたことが背景にあったと思われる。
 永田和宏氏は『近代秀歌』において語っている。

「このような状況下で、啄木も国民のひとりとして、沈黙してゆかざるをえなかったのである。」

 そして、翌年、結核で他界した啄木が紙片に遺した一句首を紹介している。

「呼吸(イキ)すれば、胸の中(ウチ)にて鳴る音あり。凩(コガラシ)よりもさびしきその音!」

 この音は、はたして病気がもたらす音だったのだろうか?
 私も小学生のおりに胸を患い、湿布薬を塗った包帯で胸をぐるぐる巻きにされたまま、床についていた時期があり、胸から喉にかけての音に敏感になってしまう気持はよくわかる。
 しかし、この一首における「音」は、それだけを指すのではなかろうと思われる。
 否応なく耳をそばだて、全神経を集中させてこの音を聴く時に生ずる心の沈静に感嘆符「!」がつく状態は、なかなか想像できない。
 一息一息がもたらす微かな音に、時代によって一つ一つ潰されて行く心情の呻きが重なったのではなかろうか。

 啄木が務めたのは東京朝日新聞だったが、平成25年7月5日付の朝日新聞は、作家高村薫氏の「踊る言葉に背を向けよ『どう生きるか』という意志と選択が問われる」を掲載した。
 氏は語る。

「どんな離郷も深い無念の光景となる。
 人が離郷で失うのは、馴れ親しんだ暮らしだけではない。
 最大の喪失は、土地の匂いといった己が身体に根ざしたアイデンティティーである。」
「先の大津波で壊滅した三陸沿岸の町や村も、いずれまた人の暮らしが始まる時は来る。
 豊かな海があり、土地があり、私たちが必要とする限り、暮らしは必ず興る。」
「『私たちが必要とする限り』と書いたが、私たちはいったい何をどこまで必要としているのだろうか。
『生きるための最低限』でなく『できるだけ多く』でもなく、問うべきは『どう生きるか』であり、そのためには何が必要か、である」
「踊る言葉に背を向け、文字通り、地に足をつけることである。
 明日にも大地震や豪雨に呑みこまれるかもしれないこの大地と、是も非もなく向き合うとき、始めて『どう生きるか』という意志と選択の問いが始まる。
 いまこそ、そういう日本人でありたいと思う。」

 当山はかつて、「東日本大震災被災の記」へ書きました。

「ご葬儀では、死者へはこの世とあの世の区切りをつける法を結んで引導を渡し、生者へは死者と共に生きて人間的に向上するお話を申し上げます。
 その二つはまったく別ものです。
 しかし、この事態にある私たちには、そうした区切りがないと感じています。
 亡くなられた人々、私も含め生きている人々、そして震災のさまざまな影響を受けて急速に生と死の縁へ向かっている人々は、非常事態を共有しています。
 だから、私にとって、亡くなられた人々のために供養を行うことも、生きている人々のために励ますことも、生と死の縁へ向かっている人々のために安全を祈ることも、そしてすべての人々のために省みることも同時進行となっています。」

 今は明らかに非常事態にあると考えています。
 だから、啄木の「胸の音」が何だったのか、高村薫氏が「問うべきは『どう生きるか』であり、そのためには何が必要か」と書く筆に込められた血を吐くような思いもいくらかは理解できます。
 私たちが膨大ないのちと暮らしの喪失を経て息をしているこの時間は、巨大な天災と人災によって逝った方々と、それをようやく生き延びている方々の慟哭を離れてあるものではありません。
「己が身体に根ざしたアイデンティティー」を失われた方々が今、同じ空気を吸っておられることを忘れた〈明日〉などあり得ましょうか?
 朝から晩まで、より単純化され、より刺激的で、より思考の短絡化を求めようとする言葉たちの乱舞にさらされている私たちは、とにかく地に足をつけ、苦吟しておられる方々の思いを想像し、「どう生きるか」を自分の頭と言葉で考えようではありませんか。

 今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

1
<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ