コラム

 公開日: 2013-07-17  最終更新日: 2014-06-04

傷ついた日本人へ(その18) ─行いと人を分けて許す。自分を許す─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 被災地を訪れたダライ・ラマ法王が高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 皆さんと一緒に、要点を考えてみましょう。

「人と接する際には『実際の言動と本人の意志を』切り離して考える」ということも大切です。」

 お釈迦様のような悟りを開いていない私たちは、必ず失敗をやらかします。
 もしも、一度失敗した時に「あなたはダメな人です」と烙印を押されるならば、私たちは誰一人、陽の当たる大道を歩み続けられはせず、皆、まっとうな人生を送られないことでしょう。

「私たちはつい行為と人間を直接結びつけてしまい、相手の人格を否定したり、怒りから実体のない人格を創りだしてしまいがちです。」

 ちょっとした交友のもつれから、いじめが始まり、やがては殺人や自死にまで行き着きます。
 それは、〈人そのものを責める〉という思慮のなさがもたらす悲しい結果です。
 人そのものを否定するならば、許しはどこにもなくなるではありませんか。
 許さない錐のように尖った心に刺され続ければ、刺される人がだんだん耐えられなくなるだけでなく、刺す人の心もまた、どこまでも無慈悲になり、両者に救いはなくなります。

「もし行為に問題がある場合、純粋にそれだけに焦点をあてて、過ちや間違いを追究すべきです。
 行為だけを問題にすることで、情に流されることなく、厳しく処することができます。
 一方、行為のみを追究することは、すなわちその人自身を許すことにつながるのです。
 これこそが本当の愛や慈悲のあり方だといえるでしょう。」

 間違いが起こった場合、間違いは〈その人〉だけに起こったのではありません。
 人間に起こったのであり、その人間がもしかすると〈その人〉でなく〈私〉だったとしても、何の不思議もないではありませんか。
 私たちは、痴情がからんだ事件をテレビの画面でのんびりと眺めていますが、自分や伴侶や恋人や家族がふとしたきっかけからおかしな行動に走れば、生活はたちまち一変し、激情が画面に似た光景を生み出しかねません。
 そうなるかならないかは、紙一重でしかないという想像力が必要です。
 そもそも、私たちは誰一人、死から逃れられないのに、多くの人はそれを忘れているように見受けられます。
 江戸時代の狂歌師大田南畝(オオタナンポ)は、こう詠んで去りました。
「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」
 もちろん、大田南畝が死を迎えてあたふたしたのではなく、諧謔(カイギャク…上品なしゃれ)の表れですが、私には忘れられない一首です。
 死が自分のそばにいるように、誰かに起こった間違いもまた自分のそばにあると考えれば、間違いを真剣に考えざるを得なくなり、それは、結果的に、自分が間違いから限りなく遠ざかることにもつながります。
 間違いを起こした〈その人〉を向こう側に置いて叩き、つまらぬうっぷん晴らしをするよりも、こうして、皆が間違いから遠ざかることこそが、最も大切なのではないでしょうか。
 自分に置き換えるところに「愛や慈悲」が生まれ、お互いがそれを持てば、万が一、過ちを犯した時に誰しもが救われ得る社会になるのではないでしょうか。

 私たちの人生は悲喜こもごもです。
「あんなに一生懸命やったのに、なぜ、こんなことになってしまうのか……」
「失敗したとばかり思っていたのに、こんなことになるなんて……」
 このように意志と結果がずれる人生で、目先の結果ばかりを追っていれば、いつも心は休まらず、他人を思いやる余裕がなく、我(ガ)を強めつつ角張った生き方をするようになりがちです。
 だから、お釈迦様は、「善き心で生きよ」と説かれました。
 善き心で生きようとしていれば、いつしか、結果に右往左往しない心の柱が打ち立てられているものです。
 また、お釈迦様は、「善き心には必ず善き報いが来る」と説かれました。
 因果応報を信じて、善き行いを実践していれば、いかなる状況になっても怖れることはありません。
 いつか必ず善き報いが来るに決まっているし、確信を持って善き行いを実践していれば、すでに、不安のない救いを生きているからです。

 ダライ・ラマ法王は、原発事故が起こり、自責の念に悩む方々へ説かれました。 

「大事なのは心の動機です。
 たとえ自分の意図していないことが発生してしまっても、必要以上に悩みを抱えることはありません。」

 悪意や故意がなかったのならば、事実を事実としてどこまでも検証し研究することが大切です。
 日本中の人々へ迷惑をかけたと悩む方は「相手の悩みや苦しみを我がこととして受け止めていらっしゃる」「非情に優しい方」であり、ぜひ、「自分のことを許してあげて欲しい」とまで言われました。

 私たちは、原発関係の方々を責めるに急な割には、速やかな検証を求める力がやや足りないように思われてなりません。
 原発事故そのものと、原発に関わって来られた方々個人個人とを峻別しつつ、事故の徹底検証を求めようではありませんか。

 今日の守本尊大日如来薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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