コラム

 公開日: 2013-07-29  最終更新日: 2014-06-04

夜光虫ひとりの刻にいつか慣れ ─男の本質的孤独について─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 昭和の時代を駆け抜けた映画監督五所平之助が詠んだ一句である。

「夜光虫ひとりの刻(トキ)にいつか慣れ」

 氏は夜半に仕事を終え、たった一人で水辺に光る夜光虫をじっと眺めていたのだろうか。
 この句がどう読めるかは、人それぞれ、一枚の紙の裏と表ほども違うことだろう。

 ポイントとなる「慣れ」には、諦観を観たり、哀感を感じたりもできようが、カメラと旅が趣味だったと知れば、むしろ、孤独は自分の業(ゴウ)と知って潔く身を任せているというイメージが浮かぶ。
 その証拠となりそうな一句を見つけた。

「生きることは一筋がよし寒椿(カンツバキ)」

 寒風にもめげず、濃緑の葉たちに支えられつつ質量感のある身を際立たせている寒椿は、役割を終えて落ちる時でも、あまりボロボロになっていない場合が多い。
 赤紫の色鮮やかなまま、白い雪に半分、埋もれていたりする。
 氏は、衰亡や死へ向かうことをものともせず、ただ、きちんと生あるその時を生きているさまに、自分と同じ単純化された生を感じ、「一筋」と詠んだ。
 普通、「一筋」という言葉は力の入っているイメージを伴うが、ここではむしろ、余分なものを放擲(ホウテキ)し尽くした無為(ムイ)の境地を窺わせている。
 落ちる時はたった一輪、自分だけであり、〈その時〉を引き受ける者もまた、天地の中で自分一人しかいない。
 それで良いも悪いもない。
 氏にとって、自分の生は〈そういうもの〉なのだ。



〈時ならぬ冷たい雨の中でたった一輪、衰えつつ咲き残りしもの〉

 高齢になると、女性は人の中へ向かい、男性は人から離れる傾向がある。
 孤独な男性については「仕事人間の末路」といった表現で切り捨てられ、「名刺が手から離れた男性が、妻に導かれて理想的な町内デビューを果たした」などと喧伝(ケンデン)されるが、そうしたことごとは、ほどほどにしておく寛容さも必要ではなかろうか。

 仕事人間的男性は、仕事から離れても仕事めいたものを見つける場合がある。
 それは、カメラであったり、読書であったり、あるいは酒であったりもする。

 知人Aさんは、青春時代に意気投合した友人Bさんと、リタイアしたらエベレストへ登る約束をしていた。
 もうすぐお役ご免という時期になって、Bさんは軽い脳梗塞を患い、やや言葉が不自由になって一足先に自由の身となった。
 しかし、二人は約束を守ろうとしている。
 Bさんはリハビリに励み、Aさんは、エベレストでBさんへ手助けできるだけの体力をつけようとスポーツジムへ通っている。
 別にアルピニストでない二人は、若かりし日、エベレストの麓へでかけたおりに、「ここへ登りたい」と、強く思っただけである。
 Aさんは言われる。
「なあに、Bと一緒にどこまで行けるか、行くだけ行ってみるんです。
 それで、うまく帰れなくなったなら、それまでですよ」

 友人Cさんは、省事(ショウジ)を徹底しようとしている。
 ある世界をとことん、突き詰めようとすると時間がいくらあっても足りず、人間関係をはじめ、削れるものはどんどん削っている。
 事の本質から遠いものは、もはや、Cさんにとって何の関心もない。
 人も、お金も、名誉も……。
 求道者と化したCさんは仙境に入りつつあるようにさえ見える。

 AさんやCさんの人生の締め括り方を批判するのは簡単だ。
 いくらでも理のある批判が成り立つことだろう。
 女性の立場から、家族の立場から、人道的立場から、宗教的立場から、などなど。
 もちろん、お二人が目ざしているのは、菩薩道(ボサツドウ)とまったく無縁の世界である。
 しかし、それでもなお、一人の男性にとって「慣れ」や「一筋」が決定的に重いものへ通じている真実を認めないではいられない。
 統計的にとらえられる〈孤独な男性〉のうち、決それほど些細な割合ではない人々が、浮薄な人間関係とは異次元のものを相手にしつつ、一人で死へ向かいつつあるはずだ。
 こうした人生の経過を認めるのもまた、人間の尊厳を大切にすることであり、前述の「寛容さが必要」は、このことを指している。

 とは言え、五所平之助はこうも詠んでいる。

「呼びとめて二人となりぬ花明り」

 一人で夜桜を眺めているうちに、思ってもみなかった人を見つけ、つい、呼び止めた。
 すると、花の白さが夜目にいっそう際立つかと思えたのである。
 だからといって、孤独を離れた瞬間が孤独を超えさせたのではない。
 潔く生きる男にとって、花の明るさが増したのは人生の飾りのような時間であり、それは飾りでしかない。

 男の孤独は、その潔さによって男の本質に通じているやに思えてならない。
 大目に見てやって欲しい、と思う。
(大目に見る器量のある人々は、昭和56年、79歳で逝った五所平之助の命日5月1日を「五所亭忌」とし、未だに偲ぶ会を続けているという)

 今日の守本尊大日如来薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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