コラム

 公開日: 2013-09-06  最終更新日: 2014-06-04

東京都の樹林墓地と宮城県の自然墓 ─お墓の形態が変わっても仏法は揺るがない─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 
 東京都の都立霊園が樹林墓地の募集を始め、関心を集めています。
 大きく分ければ、二つの背景がありそうです。
 一つには、墓石という形あるものを次の世代へ引き継ぐことへの問題や不安、もう一つには、自然回帰への憧れです。

 引き継ぎに関しては、後継者の居住地が墓地から遠く離れてしまう傾向があり、世代間で異なる信仰の問題があり、また、寺院との関係における課題もありそうです。
 自然への回帰に関しては、私たちの文明が自然からどんどん離れて行くことに伴うと思われるアレルギーの増加や人口増加による食糧危機、地球環境の汚染や破壊あるいは異常気象の頻発など、自然への関心の高まりが後押しをしているようです。

 こうした状況をふまえて、墓石を受け継ぐ慣習の減少は仏教の危機であるととらえる向きもあるようですが、いかがなものでしょうか?
 確かに、東日本大震災の前までは、葬式は要らないなどという議論もありました。
 しかし、被災された方々のほとんどは、僧侶の祈りを「要らない」とは言いませんでした。
 むしろ、亡くなった御霊方を共に慰霊するという万霊供養の感覚がよみがえり、そうした供養の場を重ねることによって、生き残った方々の心は徐々に甦りつつあるように見受けられます。

 京都大学教授佐伯啓思著『現代文明論講義』には、極めて重要な指摘があります。

「社会というものが成立する背後には死者がいる。
 その背後の死者に対して、我々はどこかで贖罪意識をもたざるをえない。
 もっともわかりやすいのが戦争で、とくに戦争になれば、国を守るための誰かが死ななければならない。
 その国を守るために死んだ人のおかげで、自分たちはそれなりにいい生活をしている。
 その死んだ人に対するどうにもならない贖罪意識を、我々は引き受けていくよりほかない。
 そこから自ずと死者を弔う、死者を祀る、死者を記憶する、死者を顕彰するということがでてくる。
 それは別に戦争に限らない。
 もっと一般化したときに、死者への贖罪に似た畏れが出てくる。
 それが広い意味の信仰なんですね。
 ですから、どこかで我々は宗教に救いを求めざるをえない。」

 満福寺(栃木県栃木市)の住職長澤弘隆師は、『エンサイクロメディア空海』(http://www.mikkyo21f.gr.jp/)において編集工学研究所所長松岡正剛氏と対談しておられます。
 以下、「対談 東北だからこそ、グローバリズムによらない復興を」より転載します。

<長澤>
 今回、東北の人たちがガレキのなかから真っ先に亡き父母の写真を探し出したり、倒壊した家のなかに潜り込んで位牌を探し出し、小さな風呂敷に包んで仮設住宅に持ち帰ったりしている姿を見て、日本の仏教は葬式仏教でよかったな、死者を弔う宗教でよかったな、とむしろ思いましたね。
 死者への畏敬と鎮魂を積み重ねてきた日本の仏教こそ、「東北」的ですね。
<松岡>
 私も今回それを感じましたね。
 津波で全部流されたなかで、辛うじて流されずに残った泥だらけのアルバムとか国語のノートとかが、全部新たな仏壇・神棚に上げられていました。
 やはり最初に申し上げたように、生の領域と死の領域は、それなりのパースペクティブを両側に深く持っているわけです。
 この生と死をまたぐところで起こっている葬儀のようなことも、もう一度見直されると思います。
 ひょっとしたらアルバムや子どもが書き遺した国語のノートのようなものが、新たなトーテムとして、東北なりの新しい葬儀に今後登場する可能性もあると思うのです。
 それしか残っていないわけですからね。
 昔、遠野あたりに行くと、おじいさんやおばあさんとともに、早くに亡くなった子どもの御真影というか、精密な絵などがずらっと欄間に掛かっていたものです。
 そういう四世同堂というか、たくさんの生きとし生けるものが何かのオブジェとして、トーテムとして残るということは、日本の葬儀が江戸期につくり上げたと思うのです。
 それが実は、遺骨や位牌だけではなくて、形見やアルバムなども隣同士に置かれて実はつながっていくことができる。
 これが今回の震災の奥に見えてきた生と死の風景だなという気がしますね。

 こうした原点に立ち、僧侶が、死者の安寧のためにすべてを捧げているプロとして日々を送っていれば、仏法は決して廃れません。
 あの世の安心とこの世の幸せは車の両輪です。
 死者と共にあることでしか得られない、あるいは死者を想うことなしでは得られない何かが、生者がまっとうに生き抜くために不可欠であり、死者と共に日々を過ごす行者には、それを体現するのはもちろん、自分の血肉となった言葉で語る義務があると考えています。
 だから、お墓の形態が変わるくらいで、仏法は一ミリも揺らぎはしないと確信しています。

 自然墓は、皆さんの願いに応えようと考えに考え、自然葬や散骨へのアプローチなどの試行錯誤を行った結果、当山に姿を顕しました。
 信じている宗教を問うなど、安らぎを求める方々のお心へは一歩も踏み込みませんが、ここはまぎれもなくみ仏と神々に護られた聖地であり、宗教の懐に抱かれる安寧の場です。
 東京の樹林墓地同様、東北の自然墓は、死者、生者合わせて皆さんの安心に役立つものと考えています。

 今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

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