コラム

 公開日: 2013-10-11  最終更新日: 2014-06-04

傷ついた日本人へ(その23) ─心の変容、たとえば村上春樹の場合─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 被災地を訪れたダライ・ラマ法王が高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 皆さんと一緒に、要点を考えてみましょう。

 前回は、ここまで学びました。
 
「生まれてくることは苦しい。
 それは煩悩が原因だ。
 煩悩がなくなれば苦も消える。
 そしてその方法は存在する。」

「この真理のとおりに煩悩による妨げや障り『煩悩障(ボンノウショウ)』を断滅し、そのとらわれから解き放たれることを『解脱』といいます。」

 今回は、この先へ進みましょう。
 
「解脱というとどこか遠くの世界へ抜け出すようなイメージがあるかもしれませんが、これはあくまで本人の心のなかの現象です。
 心が変容し、解脱するのです。」

 ままならない現実からどこか遠くへ逃げ出してしまうのが解脱ではありません。
 情報の受信装置でもある心が変われば、世界はこれまでとは違った姿でたち顕れます。
 たとえば、身障者の介護をし、いつも心から手を差し伸べている人は、どんな人混みの中にも助けの必要な人を見いだすそうです。
 そして自分の手が役立てば、よりいっそう、見分ける力がつくことでしょう。
 心が変容すれば世界が変容し、世界の変容につれて心も又、変容を進めます。

 作家の村上春樹氏は、子供の頃から音楽鑑賞と読書に熱中していたそうです。

「図書館にあった主要な本はほとんど読破してしまった。」
「ゆくゆくは文学か音楽を職業にしたいと希望していた」

 そして、「シナリオ作家になりたくて、大学の映画演劇科に入った」けれど、「自分には文章を書く才能は基本的にない」と考え、「朝から晩まで音楽を聴いていられるじゃないか」とジャズの店を始めました。
 しかし、「自分がただの作品の受け手(レシピエント)であるということが、だんだん不満に感じられるようになってきた」らしく、「何かが物足りない」と思えるようになり、29才で「ふと思い立って小説を書き、そのまま小説家になって」しまいました。
 氏はそれから「ジャズを敬して遠ざけ、クラシック音楽とロックばかり」聴きながら作家活動を続けましたが、書いているうちに、変化が起こります。

「音楽について語りたいという心持ちが、僕の中で次第に強くなってきた。
 僕は一人の誠実な──そう思いたい──音楽のレシピエントとして、また同時に一人の職業的文筆家として(ここでは誠実さは当然の前提条件になる)、音楽についてそろそろ真剣に、腰を据えて語るべきではないかと思いなすようになったのだ。
 それはたぶん、僕の中で何かが心理的に一段落したからなのだろう。
 何が一段落したのか、細かいところまではよくわからない。
 でもそういう手応えのようなものがたしかに自分の中にある。」

 そして、あらためてジャズと向かい合います。

「これまでの人生を通じて、いろんなかたちで切々と(あるいはにこにこと)聴き続けてきた音楽を、あらためて系統立てて聴き直し、あたかも自分自身の心の軌跡を辿るがごとくそれを整理し、腑分けし、もう一度自分のものとして立ち上げていくことは、僕にとってはなかなか興味深く、味わい深いおこないでもあった。」

 ここに、名著『意味がなければスイングはない』が生まれました。
 
 氏は、「まともな学校教育を受ける機会もなく、まわりに正しい大人の導き手を見いだすこともできなかった」「ブロンクスのスラム出身の、やせこけた一人の少年」が「ストレスと恐怖を克服するために、手近にある薬物とアルコールにすがらないわけにはいかなかった」とし、天才的テナーサックス奏者スタン・ゲッツの音楽とヘロインの歴史を追いました。
 その末尾近くで書いています。

「僕としては、西も東もわからないまま、一本のテナーサックスだけを頼りに、姿の見えぬ悪魔と闇の中で切りむすび、虹の根元を追い求め続けた若き日のスタン・ゲッツの姿を、あとしばらく見つめていたいような気がする。
 彼の素早い指の動きと、繊細なブレスが奇跡的に紡ぎ出す天国的な音楽に、何も言わず、あるときには何も思わず、ただ耳を傾けていたいのだ。
 そこでは彼の音楽があらゆるものを──もちろん彼自身をも含めて──遥かに、凌駕していた。
 それは共時的な肉を持つ、孤絶したアイデアである。
 それは欲望の根に支えられた形而上的な風景である。」

 氏の、聴いた時代と読んだ時代、そして聴いた時代、そして書いた時代、そして、聴きつつ書いている時代が、よくわかります。

 私たちもまた、何に打ち込むかによって心が変わり、心が変わると見えてくる世界も変わります。
 怠惰に流されているだけの生き方でなければ、螺旋階段を登るように、時の経過と共に人生が成熟し、見える世界の奥行きが深まります。
 そしてさらに、人生は芳醇なものとなってゆきます。

 さて、ダライ・ラマ法王は、み仏に成ることをめざす行者として、歩を進めます。
 貪りや怒りなどという煩悩の障りが消えただけでは、まだ不完全です。

「この時点での解脱はまだ完全ではありません。
 全てが『空(クウ)』だとわかり、実体にとらわれることがなくなったとしても、この世の真理が見えるようになったわけではないからです。
 この全てを知ることのできる智慧を『一切智(イッサイチ)』といい、一方でそれを妨げようとするものを『所知障(ショチショウ)』といいます。
 よく『煩悩障の残りかす』と表現されます。」

 空を知り、自分を縛るものがなくなっても、まだ完成ではありません。
 私たちは、生きているうちにさまざまな概念(ガイネン)をつくり、溜め込み、〈自分の概念〉という限られた道具を用いてしか、世界と接することができないからです。

「この状態では、世界の全容、あらゆるしくみ、そういった究極のレベルの景色はまだ見えません。」
「煩悩を断ち切った後、さらに所知障も滅しなくては、修行は完成しないのです。」

 途方もない話で、私たちは「こりゃとても無理だ」と修行をやめたくなるかも知れませんが、ダライ・ラマ法王は言われます。

「もちろん、私もこの段階にはありません。」
「仏陀はこの世界の全てを悟ったものですが、私はとてもそんな高い境地に達していません。」

 でも、法王も私たちも修行を続けます。
 それは、希望があるからです。
 どんな希望か?
 人は皆、み仏の子である以上、すべてみ仏の心を持っており、それを、その人なりに輝かすことは誰にでもできるからです。

「仏陀になる可能性は誰にでもあります。
 この可能性を『仏性』といいます。
 いくら煩悩にまみれていても、それは実体という幻によって引き起こされているだけで、心自体が汚いわけではないからです。
 心に巣食っていた煩悩という汚れが取れれば、もともとのきれいな心が現れます。」

 私は体験上、こんなイメージを持っています。
「空(クウ)を考えず、煩悩の直視を避ければ、煩悩はますます固くこびりつき、空を考えて煩悩の直視を続ければ、煩悩はいつの間にか透明になり、なくなってしまう」
 たとえば、鈴木沙彩さんを殺した池永チャールストーマス容疑者の周辺に空(クウ)を話す体験者がいれば、あそこまでは行かずに済んだのではないでしょうか。
 失恋が人生の肥やしとなり、やがてはときめきだけが幽かによみがえる芳しい思い出となるか、それとも、執着心のエネルギーによって自他を切り裂いてしまうか。
 失恋の時点における分かれ道では行きつ戻りつできるし、行く先の地獄も極楽もよくはわかりませんが、〈その先〉は、あまりにも遠く隔ったものとなります。
 煩悩は不思議です。
 放置すれば勝手にまといつき、見すえれば消えて行きます。
 般若心経を唱え、「これは煩悩だ」と省みましょう。
 煩悩が消え、心が変わり、世界が変わり、生き方が変わります。
 少なくともそこまでは、誰もが行けるはずであると信じています。

 今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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