コラム

 公開日: 2013-11-16  最終更新日: 2014-06-04

畏れ多くも、皇后陛下の「畏れ多い」について思う

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 11月15日付の産経新聞で、御陵・葬法のあり方に関する「両陛下のお気持」全文を読んだ。
 宮内庁が両陛下の思いと、その具現化の方向性をまとめて発表したものである。
 ここでは合葬に言及されている。

「天皇陛下には、御陵の歴史の中で、かつて合葬の例もあったことから、合葬というあり方も視野にいれてはどうか、とのお考えをお持ちであったが、この合葬とすることについては、皇后さまから、ご自身昭和の時代にお育ちになり、『上御一人(カミゴイチニン)』との思いの中で、長らく先帝陛下、今上(キンジョウ)陛下にお仕えになってきた経緯からも、それはあまりに畏れ多く感じられるとされ、~」

 皇后陛下は「畏れ多い」と言われた。
 この世でただ一人、天皇陛下と男女の仲になった女性からこの言葉が出たこと以上に、天皇の聖性を保証するものはないと思われる。

 いかなる聖人君子とされている人物であれ、妻からすれば、〈一人の男〉である。
 歴史的にも、また我々の日常生活における経験上も、この点においては、我々、世間の者と聖人君子と何ら変わりはない。
 英雄であろうが、権力者であろうが、いかなる勲章の受章者であろうが、生きものとして隠せぬ姿を知っている妻の目からは〈一人の男〉であることを免れ得ない。
 しかし、皇后陛下は、おそらく、きっぱりと、たとえあの世でであれ、一体になることは畏れ多いと、そのご意志を示された。

 前述の「聖性」とは、天皇陛下という一人の人物を神格化することを意味するのではない。
 私たちの文化をここまでつなぎ、成熟させてきた伝統の根本にあって、ゆるがせにできない価値から発しているものを指す。
 伝統とは、能や歌舞伎や神楽を伝承すればそこに〈見られる〉といった類のものではない。
 中島岳志(北大大学院准教授)氏が「『リベラル』保守宣言」で紹介したとおり、故小林秀雄は書いている。

「伝統は、見付けだして信じてはじめて現れるものだ。」
「伝統は、これを日に新たに救い出さなければ、ないものなのである。」
「個人はつねに否応なく伝統のほんたうの発見に近づくやうに成熟する。」

 中島岳志氏は指摘している。

「私たちは、伝統という無限の暗黙知の中で生き、過去の集合知に依存して日々の判断を下しています。」
「『精神のかたち』(つまり伝統)こそが、特定の集団の安定的秩序を構成している」

 皇后陛下のひと言「畏れ多い」こそが、隠れている伝統を確かなものとし、日本の文化の成熟度を明らかにしたのである。

 皇后陛下は続けられた。

「~、また、ご自身が陛下にお先立ちになった場合、陛下のご在世中に御陵が作られることになり、それはあってはならないと思われること、~」

 ここには二つの意味がある。
 一つは、崩御の後に御陵を造るという日本の伝統を守るということ、もう一つは、皇后陛下が先に御陵をお使いになられ、そこへ天皇陛下をお迎えすることはできないということである。
 第一の面についてはもちろん、天皇制における伝統であり、聖徳太子や始皇帝を含め、一般世間の者が寿陵墓(ジュリョウボ)という生前墓を作ってきた歴史を否定するものではない。
 特に現代では、生前に事後の準備をしておくことが当然と思われるようになり、それはそれで社会の成熟というものだろう。
 第二の面は、世間の者の生活に見られる伝統的感覚へ通じている。
 たとえば、亭主が仕事から帰り、風呂に入ってから妻も入るのが一般的感覚であり、そこには目に見えぬ伝統がある。
 もちろん、はたらいてきた者をねぎらうという理屈はあろうが、決してそれだけではない。
 ただし、この形が〈正しい〉から誰もがそうすべきであるなとというわけではなく、こうした感覚をふまえて、はたらいて帰宅した女性や介護に疲れたが先に風呂へ入ろうと、あるいは、泥んこで帰ってきた子どもが先に入ろうと、何ら問題があるわけではない。
 男尊女卑や家父長制といったものを持ち出して柳眉を逆立てて論ずるまでもない。
 それは、箸の持ち方や水の飲み方などと同じく、伝統に通じる生活慣習なのである。
 たとえば、日本人はペットボトルから水を飲む際に、口をつけてこぼさぬように飲むが、インド人は、天へ向かって大きく口を開け、注ぎ込むようにして飲む。
 決して、どちらかが〈正しい〉わけではなく、衛生的観点などからの面倒な論議は詮無きものというしかないのである。

 皇后陛下は続けられた。

「~、さらに、遠い将来、天皇陵の前で祭事が行われることになる際に、その御陵の前では天皇お一人のための祭事が行われることが望ましく、陛下のお気持ちに深く感謝なさりつつも、合葬はご遠慮遊ばさねばとのお気持ちをお示しであった。」

 ここにも『上御一人(カミゴイチニン)』が色濃く表れている。
 たとえば天皇陛下が国民から慰霊のまことをお受けになられる場に自分も一緒にいることなど、あり得ないのである。
 もちろん、『上御一人(カミゴイチニン)』や前述の「聖性」は、決して天皇陛下という人間そのものを神の座へ押し上げることを意味しない。
 文化的伝統の体現者へ対し、今、たった一人でその〈悠久〉を生きておられる尊厳に皇后陛下を含め、おのづから頭を垂れているのである。
 御陵・葬法に関する両陛下の率直なお気持が発表され、私たちは肝心なことを思い出させていただいた。
 やはり『上御一人(カミゴイチニン)』である。

 今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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