コラム

 公開日: 2013-12-21  最終更新日: 2014-06-04

お釈迦様は説かれました「ただの信仰心で私の教えに従うのはやめなさい」

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』第十四番の弥勒菩薩様〉

 ダライ・ラマ法王著『傷ついた日本人へ』を読んでいます。

○「私の教えを信じるな」という釈尊

「科学と宗教は相容れないものであるという考え方は根強いものです。
 実際、私が科学者と会議を行っていることを知ると、
『気をつけてください。
 科学はあらゆる宗教を殺してしまう。
 まさに悪魔の呪文です』
と警告してきた友人がいました。
 また、科学者の方との話し合いではよく『対話』という言葉が使われます。
 しかしこの言葉には、両者の立場や存在が対立しているという前提や先入観が含まれているように思います。」

 法王は、対話という言葉にすら注意しておられます。
 確かに「対」は「対立」や「対決」というふうに用いられ、面と向かっている状態です。
 また「一対」となれば、独立したものとして横に並んでいる状態です。
 溶け合うという面は感じられません。
 法王は、真摯な話し合いは同じく真理を求める者同士として行う共同作業であり、「対」という感覚ではどうかと警鐘を鳴らされました。 

「実際はその逆です。
 仏教徒科学は驚くほどよく似ています。
 現象を調べ、法則を発見し、存在を確かめ、真実を探ろうとする。
 目指している方向も姿勢も同じなのです。」

 道がわからず20年近く彷徨ったあげく、私が仏教の道へ入れたのは、み仏が待っていてくださったという実感が強い一方で、それもまたみ仏の采配であるとしても、かけがえのない師と巡り合わせていただいたことが決定的な要因の一つでした。
 信じて白衣をまとい、入門したての弟子へ師は言われました。
「仏教は仮説ですよ」
 さまざまな寺院の門を叩き、他の大学の講義へもでかけ、どうしても「これだ」と思えずに手探りを続け、それでも無一文になった結果、どうにかたどりついたところでお与えいただいたこのひと言は、あまりにも決定的でした。
 ご本尊様のご加護を信じ、仏法の正しさと力を信じ、師の分析力・判断力・法力を信じて裸になった者へ、説いてあるのは「仮説です」と言い切る師の真剣な求道の姿勢は奇跡とも思えました。
 ご自身が、単なる信仰者ではなく、求道者であり探求者であるからこそ、弟子へ最初に念を押されたのでした。
 言葉を代えればこうなるのではないでしょうか。
「ただ、信じるだけではいけません。
 真理は自分でつかみなさい」

「仏教と科学と近しい理由は、釈尊の教えにも見られます。
 釈尊は全ての弟子たちを前にして、『ただの信仰心で私の教えに従うのはやめなさい。はじめから私の教えを信じこむのではなく、私の教えが正しいかどうかを自分で調べて解き明かしなさい』と語り、盲目的な信仰を戒めています。」

「さらに
『ある金属が純金かどうか調べるにはどうしますか。
 叩いたり、こすったり、いろんな手段を使って調べるでしょう。
 私の教えも同じです。
 本当に価値がある正しいものかどうかは調べなくてはわからない』
というたとえを使い、もし結果として論理的な矛盾や根拠の欠如がわかれば
『私の教えを受け入れてはいけない』
と説いています。
 まさにこれは科学的な姿勢といえるでしょう。
『釈尊は科学者だ』という人がいるぐらいですし、私もこの意見には同感です。
 この姿勢は、釈尊だけでなく、他の多くの僧侶にも受け継がれています。
 結局釈尊は、検証と修行の方法論を示してくださった先生に過ぎないのです。」

 仏教が生きものであり、時代と共に変化し、場所に合わせて変化し、だからこそ、いつの時代もいかなる文化圏においても、救いとなり得てきたのは〈調べられる〉ことを厭わず、〈納得〉をもって活かされてきたからです。
 相手が科学であれ、芸術であれ、社会学であれ、心理学であれ、どこの分野から観ても真実と認められればこそ、鋼鉄の棒のように他をはねつけるのではなく、おいしく、ありがたく、嬉しく味わっていただき、心身を潤し、力づけるものとして受け継がれてきたのです。

「ともすれば私たちは見かけに騙され、真実を見誤りがちです。
 それは宗教者も科学者も同じこと。
 それが真実だと思い込み、満足してしまうのです。
 そうではなく、常に真実は何かということを考え続けることが大切です。」

 私たちは、ともすれば、見かけに騙されます。
 いかにもそれらしくお告げや絶対的真理を掲げ、信者を増やしている教団を大きいから、あるいは有名だから、信じてはいないでしょうか?
 信じるのが安心の道とは限りません。
 絡め取られる蜘蛛の巣や、這い上がれない蟻地獄につかまろうとしているのかも知れません。
 信じられそうだなと思ったなら、一度立ち止まり、盲信や狂信へと導く危険性がないかどうか、よく観る必要があります。
 教祖や教団は〈自力をつけ、独りで立ち、広い視野を持って健全に歩ける〉ような方向へ導こうとしていますか?
 それとも、思考停止や、単なる没入や、有無を言わせぬ信心へと導こうとしていますか?

「もちろん、たくさんの知識を学んで知性を高め、誤解や思い込みを取り除かなくては正しい検証はできません。
 また、それまで自分が信じてきた常識と違う説を唱えられても、それを一度は受け入れてみることが大切です。
 自分と異なる意見を持つ他人の話にも、まずは素直に耳を傾けてみるのです。」

「実際、科学的な見解と仏教の教えが異なることはしばしばあります。
 しかし、だからといって宗教は科学を忌避してはいけませんし、また逆に科学者も科学が最も正しいと盲信してはいけません。」

 私たちは、何のために仏法へ近づこうとしているのでしょうか。
 真理を知りたい、真実をつかみたい、というだけでなく、もっと具体的、現実的な苦から逃れたいケースの方が断然多いはずです。
 そうした〈藁にもすがりたい〉時は、心の間口が広く開いているものです。
 焦る眼にさまざまな藁が見えたり、ふと、眼前にぶら下がったりします。
 そこでこそ、疑ってみましょう。
 きっと、すがるべき藁はなかなか見つからないはずです。
 ここで、いい加減なものに手を伸ばせば危険です。
 見つからない苦しみから安易に逃れようとせず、本ものを探しましょう。
 その時、ようやく気づくかも知れません。
 〝──ああ、自分は何と愚かなのか……〟
 そして、自分を超えた何ものかへ、得も言われぬ次元としての仏神へ額づく気持になるかも知れません。
 このように、自分の根本的な愚かさに気づき、いつしか清浄な気持になれば、み仏は必ず手を差し伸べてくださるものです。

「私も、仏教の旧い経典を大切にするのと同時に、科学にある現代的で公平な視点を持つようにも気をつけています。
 そして、たとえ経典の内容に反するような科学的見解でも、自分で検証した結果、一切の矛盾がないということが実感できれば、それを受け入れなくてはいけないと思っているのです。
 それを拒絶するようなことは決してしたくありません。
 私自身、仏教の教えをぜひ信ずるべきだとは決して言いません。
 また、仏教の教えが正しいとも言わない。
 それはあくまであなたが確かめ評価することです。」

 お釈迦様は、真理を求め、真実に生きようとされました。
 その姿勢の前では、あらゆる理論も教えも、自分の脳裏に浮かんだ真理もすべてはまず、〈仮説〉として縁になります。
 それらの中から、「検証」され、「矛盾がない」と確信されたものにしか人生をかけられないのはあまりにも当然です。
 そうでなければ欺瞞の人生を送ることになり、それは自分の本心ではないはずです。
 本当に信じられるものを見つけ、それに懸け、自分なりの真実に生きるようにしたいものです。
 私たちの本心はここにあり、生きがいもまた、ここにしかないはずです。
 密教が、覚りを求める「菩提心(ボダイシン)」と並んで最重要な心がけとして説く「勝義心(ショウギシン)」とはこうした心構えです。
 柔軟な心で、偽りなく生きようではありませんか。

 今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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