コラム

 公開日: 2013-12-26  最終更新日: 2014-06-04

葬式仏教と貶称(ヘンショウ)するけれど(その1) ─文化の形を生きる─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






〈ウサギ野仙哉君と、内ネコのクロ〉

 お葬式を行うために仏門を叩いた記憶はない。
 どう生きればよいかわからなかった一人の中年男の前に、光明のかいま見える門が開かれていただけである。
 昼間は托鉢や人生相談や居合の稽古を行い、夜間に所定の修行を行った。
 やがて、葬儀で脇僧(ワキソウ…導師の補佐役)も体験するようになった。
 ただ畏れるしかない師の法力は、必ず、死者を極楽浄土へ導くと信じていた。

 肉親の死に打ちのめされた方々と接触を重ねているうちに、導きの必要性を痛感するようになった。
 その一方で、托鉢先でいろいろお話ししてくださる方々や、出入りされる各種の業者様方から寺院の実態をお聞かせいただくうちに、だんだん理想的寺院のイメージがつくられ、師から一山の開基を許された時、その目的と姿勢はすでに明確だった。
 目的は「この世の幸せとあの世の安心」のために微力を尽くすことであり、姿勢は「法灯に因(ヨ)り、法友と共に、法楽に住せん」である。
 もちろん、この点は今も微動だにしていない。

 プロの僧侶は、皆さんと一緒になって、この世を極楽へ近づかせねばならない。
 プロの僧侶は、あの世に逝かれた方々が極楽への道を歩まれるよう仏法の行灯に明かりを灯し、歩む草履にも、杖にもならねばならない。
 そうして、この世の景色が明るい方向へと変わり、あの世の道行きに不安が少なくなれば、この世もあの世も、密厳国土(ミツゴンコクド…煩悩によって隠されている仏光が満ちあふれ、荘厳された極楽世界)となる。

 私たちはこの世で、親や先生や先輩などの導きを受け、励んでてこそ、まっとうに育ち、生き抜ける。
 それが、あの世へ行った途端、急に、自分だけで歩めるはずがあろうか。
 文明が生まれてこの方、世界中の人々が葬送に細やかな心をくばり、宗教により地域によってそれぞれなりに安心が得られる形を整えてきた。
 この〈形〉が文化の一面である。
 たとえば、箸の使い方一つとっても、お辞儀の仕方一つとっても、そこには形があり、洗練は生活の精神的レベルを上げる。
 文化のもう一面は、〈形〉が生きられてこそ文化であるということである。

 親も先生も先輩も、自分が生きてみせてこそ、真の導き手であり得る。
 どう生きてみせるか、そこに〈形〉が顕れる。
 親が教える箸の持ち方も、先生が教える共同生活での作法も、学び方も、先輩が教える組織内での生き方や、仕事の手順も皆、〈形〉であり、優れた指導者は巷間言われているとおり〈背中〉つまり、〈形〉を生きている姿そのもので導く。
 だから、仏道であれ、居合道であれ、修行は〈形〉を意識と肉体へたたき込んで〈形〉どおりに動くように鍛えるものであり、そうしないと当然、意識も肉体も、目的に応じた役割を果たせない。
 僧侶が役割を果たすとは、身体のはたらきにも、言葉のはたらきにも、心のはたらきにも、鍛えられた結果としての法力(ホウリキ…真実世界に顕現するみ仏と仏法の力)が伴うということである。
 それは、ドライバーさんが笑顔で目的地を訊ね、安全に効率よく乗客を目的地へ連れて行く力と同じであり、お医者さんが患者さんの診察を的確に行い、手術や施薬などで病気を克服する力と同じである。

 こうして私は、仏法が法力として生きている現場で学び、やがて生きている方へご加持を行い、亡くなられた方へ引導を渡すようになった。
 お葬式を行うために仏門を叩いたわけではないが、いつしか、引導を渡すという命がけの現場に立つようになっていた。
 一週間に三回、ご縁になる場合もあり、三度目を終えて帰山すると時折、妻に言われる。
「あんたがもう、向こうに行きかけているんじゃないの?」
 自分の貌(カオ)を鏡で眺め、これ以上、肉が落ちたら死んだ人と同じだとつくづく思うが、翌日にはまた、さまざまな現場が待っており、役割を果たせる程度には回復できていることを心からありがたく思う。

 人が亡くなられた時、あの世へ旅立つ方も、送られる方も、ほとんどの方々は実態として手探り状態におられると痛感している。
 言葉に出される方も、出されない方も、お金のたくさんある方も、あまりない方も、地位の高い方も、あまりない方も、一人の〈裸の人間〉になっておられる。
 死の境を超えれば、赤児がこの世に生まれ落ちたのと同じだからである。
 あの世の道行きをお導きくださるのは、み仏であり、仏法である。
 あの世の道行きにこの世でどう関われるかを教えてくださるのも、み仏であり、仏法である。
 み仏へお仕えし、皆さんの僕(シモベ)となってはたらくべき僧侶として、個人的には微力ながらも、皆さんへのみ仏のご加護が、より確かなものとなるようありったけの力を尽くさせていただきたい。

 お葬式を行うために仏門へ入ったわけではないけれど、今、こうして皆さんのお求めにお応えしている身としては、人生相談であれ、ご祈祷であれ、お葬式であれ、ただただ、はたらかせていただきつつ死んで行きたいと願うだけなのです。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

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