コラム

 公開日: 2013-12-30  最終更新日: 2014-06-04

正しい願いのかけ方は?

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 お正月がくると、皆さんそれぞれに、「よい年になりますように」と祈られることでしょう。
 具体的には、受験の合格、安心な就職、家内安全、商売繁盛、当病平癒、など、いずれも、私たちが心から〈こうあって欲しい〉と思う内容になっているはずです。
 つまり、幸せを祈ります。
 これは私たちの本性であり、生きている以上、誰しもが心の底から湧く思いです。

 では、誰しもがよき願いを持つのに、必ずしも皆が幸せになっていないのはなぜでしょうか?
 たとえば、「自分が試験に合格する」とは「誰かが試験に落ちる」ことでもありす。
 あるいは、「自分が就職できる」とは「誰かが就職できない」ことでもあります。
 同じように、自分は泥棒が入りにくい家に住んでいるけれど、そうでない暮らしをしている方もおられるし、自分の店は千客万来でも、閑古鳥が鳴いている同業者もあり、自分は快癒に向かう一方、なかなか病状が改善されない病人もおられます。
 誰しもが、老、病、死がから離れられない肉体をよりどころとし、食わねばならず、住まねばならず、変化してやまないモノの世界に住んでいる以上、ずっと安心な生活が続きはしないのです。

 では、よき願いは成就されないのか?
 そうではありません。
 問題は、ともすると、〈自分にとっての〉よき願いだけを祈りがちになるところにあります。
 たとえば、志望校へ入りたいと願って一生懸命に勉強するのは尊い生き方ですが、ではなぜ、その志望校へ入りたいのか?
 もしも、お金持ちになりたいのなら、合格しようとしまいと、確固たる幸せはつかめません。
 なぜなら、お金は人間によいこともさせるし、悪いこともさせるからです。
 幸不幸を分けるポイントはその先にあります。
 なぜ、お金持ちになりたいのか?

 もしも豪華な家を建て、好きな伴侶を得、趣味にうつつを抜かしながら暮らしたいのなら、いかに成績優秀でも、不幸への道を歩んでいます。
 自己中心という煩悩(ボンノウ)に心が占領されており、そこからありとあらゆる悪魔が飛び出してくるからです。
 高慢、邪慳、無慈悲、気まま、狡猾など、いずれもが人間本来の徳性に反し、必ずいつか、自他を深く傷つけないではおかないことでしょう。
 そうではなく、もしも飢餓や貧困などで苦しんでいる世界中の人々のために、何かをしてあげたいのなら、あまり成績優秀でなくても、幸せへの道を歩んでいます。
 謙虚、親切、慈悲、親和、愚直など、いずれもが人間本来の徳性を育て、自他に安心や潤いや生きがいなどをもたらすことでしょう。

 そして、徳ある目的をもってお金を求め、それを得るために志望校を目指すなら、たとえ合格しても、不合格になっても、必ず何らかの道が開けるというところが肝腎です。
 揺るがない志の前では、受験は志を果たす手段のうち、たった一つでしかないのです。

 さて、新年に向けての願いをチェックしてみましょう。
 受験の合格、安心な就職、家内安全、商売繁盛、当病平癒、いずれも、〈その先〉の目的はどうでしょう。
 受験に合格したなら、勉強して社会の役に立ちたいと願っているでしょうか?
 就職が決まったなら、仕事を通じて、これまで育ててくれた親や、地域や、社会へ恩返しをしようとしているでしょうか?
 自分の家と家族が安心に暮らせるなら、そこにできた余裕をもって、困っている人々のために自分ができることをやりたいと思っているでしょうか。
 商売が繁盛したなら、はたらく人々の生活が向上するよう気を配り、お客様にはもっと喜んでもらえるよう、さらに研鑽を積む覚悟でいるでしょうか。
 病気が治ったら、自分と同じように病気で苦しんでいる患者さんたちがいることを忘れずに生きて行こうと決心しているでしょうか。

 いずれも、〈その先〉には〈他者〉がいます。
 私たちが人間としてまっとうに生きるためには、他者への思いやりが欠かせません。
 それが自己中心という諸悪の根源を退治する唯一の道だからです。
 12月28日付の河北新報は、11月末にウィーンで開かれた「世界宗教者平和会議」について報じました。
 題は「世界の宗教者『他者』を議論 ─共存へ憎悪の解消を─」というものです。
「宗教者が『他者』との共存を共同体の中で訴えていく上で、自らの長い伝統の中から適切にアイデアを取り出せれば、それは大きな力になるだろう。」
 少なくとも大乗仏教は、他者への視点がなければ成り立たないので、ぜひ、他の宗教もそうであって欲しいと願うしかありません。

 結論です。
 人の間で生き、生きものたちと共存している私たちは、〈自他共に〉幸せになる以外、決して、自分が本当に幸せになれはしません。
 だから、よきことを願う際には必ず、他者への思いやりも忘れないようにしましょう。
 その誠心は、必ず仏神へ届くことでしょう。
 真の善願が新たな年に明るい扉を開く大きな力となりますよう。

 今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

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