コラム

 公開日: 2014-01-06  最終更新日: 2014-06-04

死は瞬間ではない ─生・死・劫・刹那・無常─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 ダライ・ラマ法王著『傷ついた日本人へ』を読んでいます。

「仏教では、古くから時間への考察を続けてきました。
 その中では、時間に実体はなく、人間の認識の中で捉えている概念に過ぎないことも言及されています。
 そのため、人間の理解を超える長い時間を『劫(コウ)』といい、逆に短い時間を『刹那(セツナ)』と呼び、その限界を認めているのです。」

 劫とは感得も想像もしきれないほど長い時間であり、ヒンズー教によって「1劫 = 43億2000万年」と定義されています。
 仏教には、岩と天女のたとえ話があります。
 1辺が40里ある巨大な岩を3年に1度、舞い降りる天女が羽衣で撫で、すっかりすり減ってしまうだけの時間が劫であるとされています。
「寿限無(ジュゲム、寿限無(ジュゲム)、五劫(ゴコウ)の摺り切れ、~」の「劫」です。

 さらにダライ・ラマ法王は、久方ぶりに会えば老化や肥満に気づくけれど、目の前にいる人のそうした変化は認識できないし、自分自身の身体の変化ですら同じことであると指摘しています。
 捉えられない変化が一瞬、一瞬に起こり、それが1分、1時間、1日、1ヶ月、あるいは1年と経過した時点で気づくしかありません。

「死にも同じことが言えます。
 医学的見地では、ある時点を指して『死』と規定していますが、それも人間が便宜上引いた、生と死のボーダーラインに過ぎません。
 実際の人間は自分で把握できないレベルで、少しすつ、少しづつ死んでいくのです。」
 
 私たちは、亡くなった人を見れば〈生きていない〉と認識できますが、どこまで生きていたかはわかりません。
 お医者さんから「ご臨終です」と告げられて、「ああ、亡くなった」と思うのみであり、それは、限られた範囲の方法で、肉体のはたらきが限られた部分について消滅したことを確認しただけであり、〈いのち〉全体の消滅をあらゆる面から確認したわけではありません。
 まして、〈意識〉の消滅など科学的に計測するたった一つの方法も、私たちは持ち合わせていないのです。
 そもそも、私たちの身体を構成している約60兆個の細胞は、毎日3000億個死ぬ一方で、ほぼ同数が生まれており、数ヶ月後で肉体は別ものになってしまいます。
 ラマ僧アナガリカ・ゴヴィンダは言います。

「仏教哲学に通じたすべての人は、この世に生命を受けたいかなるものにとっても、生と死はただ一度だけ起こる現象ではない、ということを認識している。
 すべての瞬間、刻々と、われわれの内部で何かが死に、何かが再生しているのである。」

 最近、科学者Aさんから「現代の科学者には、宇宙とは観測できる範囲のものである、という認識がある」とお聴きしました。
 このように、人間にとって可能な範囲と、そうでない範囲があることをはっきり意識するという謙虚な姿勢は、とても大切ではないでしょうか。

 それでもなお、私たちは、共同で社会を構成し、できごとに対処してゆく便宜上、死などについても皆が従うべき〈とりあえずの取り決め〉をしておかねばなりません。
 24時間は荼毘(ダビ)に付さないこともそうです。
 だからこそ、ご遺体は火葬炉へ入るまで生者同様の扱いを受け、収骨の際にも礼を尽くした対応が行われます。
 生と死を劃然と分け、「死んだのだから、もう、ただのモノになった」とする物質的な考え方よりも、曖昧な生と死を貫く人間の尊厳を感得し、尊び、しかるべき礼儀とふるまいに生きるところにこそ、人間の人間たる資格があるのではないでしょうか。

「これは『刹那滅(セツナメツ)』という仏教の考え方にも現れています。
 あらゆる物事は刹那の間にも生じて滅するという概念です。
 全て一瞬一瞬変化していて、同じ状態ではない。
 これが仏教でいう本当の意味での『無常』なのです。」

 無常とは単なる気分ではありません。
 熟考の末にたどり着いた深遠な思考が概念となり、言葉となって私たちの文化を構成し、文化の空気を吸い、水を飲んできた歴史が深い意識へ溜め込まれ、舞い散る一片の木の葉にも存在を貫く原理を感じとり、霊性が震えます。
 こうした霊性の発露が文字や音楽や芝居などの様式となり、無常の文化が醸成されてきたのではないでしょうか。

「刹那滅は人間には捉えることができない、非常に微細(ミサイ)なレベルの現象です。
 しかし、たとえ私たちの目には同じように見えていても、実は常に変化しているということをきちんと認識することが大事です。
 こう考えると、目の前の現状を嘆いたり、今持っているものに執着したりすることが、いかに意味がないかとわかるでしょう。
 全ては気づかぬうちに一瞬で変化してしまうものだからです。
 逆に言えば、どんなに小さな変化でも、その積み重ねが大きな変化をもたらすということです。
 少しづつでも自分を良い方向へ高めることで、まとまった時間が流れたそき、目に見える変化となって現れるでしょう。
 こうした事実を心に留めて、日々を過ごしていただければと思います。」

 劫や刹那に学び、我欲や激情に流されない生き方をしたいものです。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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