コラム

 公開日: 2014-01-11  最終更新日: 2014-06-04

言葉で話せるのは〈当たり前〉なのではない ─竹内敏晴氏の言葉獲得、そして渡辺祥子氏の寺子屋─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈ご近所の主婦大須賀弘子さんが手作りされた漬け物、梅干し、麹(コウジ)、味噌の直売を行います〉

 私たちは普段、何気なく言葉を用いていますが、人間に生まれたからといって自動的にしゃべられるようになるわけではありません。
 幼児の頃からの難聴に悩まされつつ、ようやく言葉を〈獲得〉し、ついには演出家になった故竹内敏晴氏が63歳で書いた『失われたことば』を読んでみましょう。

 氏は、ただでさえ、うまく話せなかったのに、敗戦のショックは追い打ちをかけるように、氏を無口へと追いやりました。

「私の場合には、ことばを失ったということは二重の意味を持っていた。
 私にとっては、いわば、あらかじめ失われていたことばを、その遅い恢復の途次で、ふたたび決定的に失ったということだった。」

 氏は、「たぶん、生後一年にならぬころ」から耳の病気で苦しみます。
 まだ、ペニシリンもない頃、幼い氏は、化膿した耳に氷嚢を当て、痛みに耐えているうちに幻を見ます。

「夜中に熱がたかまってくると、耳がうすき、悪夢にうなされて、開いた目にうつるのが、幻のようにきらめく赤い玉で、化け物の目玉らしくくるくる廻っては襲いかかってくる。」

 小学生の時に胸を患い、湿布でグルグル巻きにされたまま自宅で仰臥していた私も、夕刻、西の障子が紅くなり、路地で遊び回る子供たちの声が遠くなって夕闇が迫ってくると、部屋の東の壁から西の壁へ向かい、火の玉たちがまるで流れるようにどんどんと飛んで行くのを観るのが日課でした。
 
 小学校高学年になり、氏は「慢性中耳炎急性発作症という奇妙な名前」の病気であると知ります。
 子供たちは氏をツンチャンと呼び、「いくらか対等には扱って」くれても、「いたわってくれるなどということは」ありませんでした。

「外見上はなにごともないということが、ツンボにとってはまことにおそろしいカセ、あるいはワナになる。
 めくらならいいなあと子ども心に想ったことがある。
 めくらはめくらだと目に見える。
 だがツンボはわからない。
 だから期待はずれの意外さが、話しかけ手にいっそう軽蔑感を強く呼びさますのだ。」

 氏は発熱のたびに絶対安静にせねばならず、あまり運動ができなかった。
 あまり「いじいじせずに」暮らしはしましたが、家を訪ねた友だちは勝手に遊び、氏は「一人で本を読んでいることが多かった」そうです。
 小学校にプールができたことをきっかけに氏の耳はどんどん悪くなり、「中学一年の秋から四年の冬まで」はほとんど聞こえないままに過ごします。
 氏は、「鋭い思い出」を二つ書きました。

「かれらの話ごえは私には聞こえない。
 かれらはそれをいいことに私を槍玉にあげ、嘲笑している、目の前で!」
「それが一度心を傷つけると、その傷のうずきは、次の似たような情景を同じ意味でとらえる。
 やがて友だちの、私にけっして聞こえない、そしてよく見える笑いは、私を刺すとげになった。
 それはまるでエコーするように、私の中にひけめを拡大し、私を伏目にし、おじけづかせ、孤独にしていった。」

 こうしたいじめを行ったことのない私はいつものようにけしからん!と思いますが、孤独になっていく方々のお気持になってみることは到底できません。

 氏は警報が聞こえないばかりに踏みきりで危機一髪という目に遭い、遮断機に体当たりして助かった時、激情が走ります。

「目の前を轟々と動いていく巨大な動輪を身ながら、私は怖さではなく、はげしい屈辱感に身がすくんでいた。
 人々の視線が矢のようにからだに刺さる。
 集まってきた人々の中には同級生もいた。
 その目に好奇とあわれみの色を見たとたん、私は猛烈な勢いで逃げ出していた。
 くそっ!くそっ!くそっ!とこえを出して泣きながら走っていた。」

 もしも、自分がこの現場にいたなら、わずかな好奇心と大きな哀れみの気持で彼を観たことでしょう。
 それが彼を追いつめるとは……。
 どうすれば彼を〈刺さないで〉済むのか?
 人間にそれが可能なのか?

 氏は「毛を逆立てたはりねずみ」のようになり、「外部のものすべて」を怖れながら生きます。
 自分を傷つけない相手には「無際限に」近づきたくなりますが、そうした仲間が氏を外してピクニックの計画を立てていることを知り、「黙って離れ、ふたたび近づかなく」なってしまいます。
 孤独を深める過程はとても想像しきれません。

「閉鎖された人間にとっては、他者に対して拒否し退避するか、全面的同化に憧れるか、どちらかしかないのだろう。
 少し先走りして整理すると、このとき、私にとっては、閉ざされた〈自〉と、その外にある見透せぬ怖い総体としての〈非自〉だけがあった、と言えるだろう。
 まだ〈自と他〉という意味での〈他者〉は、私にとって存在していなかった。
 ここではコミュニケーションという問題は、成り立つ地盤を用意できない。」

 コミュニケーションが問題にすらし得ない状況がある……。

 氏が中学四年生の時、テラポールという新薬が開発され、五年生になると病状はすっかり「安定」します。
 十六歳の氏は弓道三段、全国で最年少という名手になりました。

「孤独な集中壁癖が、弓には向いていたのかもしれぬ。
 実弾射撃も優秀だった」

 ここで氏は、〈聞こえること〉と〈聴く〉ことの違いに気づきます。

「聴力が恢復することと、聞くことができる、ということちは別のことである。
 なぜなら、音は、注意をほかに奪われているときには、聞こえない。
 私たちのからだは、聞く、つまり音を選んでいるのであって、無差別に音が飛びこんでくるわけではない。
 だからよく『聞く』ためには、持続した注意の訓練がいるのだ」

 ここに、氏が優れた脚本家になるきっかけがあったのでしょうか。

「まして、話をすることは、、聴力が生まれたからやっと始まる──ちょうど赤ん坊のヨチヨチ歩きのような──長い努力の先のことになるのだ。
 困難は二つある。
 一は、こえを出して発音できること、二は、自分の発したこえを、外からの音として(これは本当は正確な言い方ではないが)聞きわけられること。」

 高校生になった氏はコンパに出て、自分がまだ、うまく話せないという現実に打ちのめされます。

「恥ずかしさでのどから胸がスッと凍ったような気がした。
 こえが出せなかった。
 あわててことばを探したが、ちりじりばらばらなことばは、少しもつながらず、こえになって外へ出もしなかった。」
「私は、自分がことばを仕えない、と感じた。
 いな、こごばを持っていない、と感じた。
 また、ことばを持たない、ってことは、考えを持っていないということだと感じた。
 私の中にはいろんあ、見定めきれない感動が動いているのに、それがなんであるかを、私は言えない、ということは、知らない、わからない、見定められない、ということだ、と感じた。
 ことばを見つけなければ、私は、ほかの人とまじわすことができない、一緒に生きることができない……。
 そしてこの思いは絶望的だった。
 たとえ私が心のなかでことばを見出しても、それを発音したとき、それが相手に届かないのだ。
 いや正確に言えば届いたかどうか判断できないのだ。
 聞きとれないのである。
 言葉は音声として相手に届き、相手から音声として返されてくるのを受けとってこそ、ことばとなる。
 私の作業は、まず、自分の見たもの、感じたことを表現する単語を見出すこと、次にそれをどう組み立てたならば、他人に理解できるかを発見すること、そして第三に、それをどう発音したら他人に届くかを見出すことだった。
 しかし、私はどこからこの作業を始めたらよいか、かうもく見当がつかなかった。」

 氏はここを乗り越えます。
 孤独な言葉選びは飛躍をもたらします。

「ことばは、日常的慣習的な用い方を離れて、独自の光彩と意味を帯びてくる。
 たぶん、詩の生まれるところの一つは、このような場所からであろう。」

 さらには、「話しかけようとしている、この主体自体を、まず、なんと呼んだら(呼ぶという言い方自体がすでに何かを規定し前提としているのだが)いいだろう?」といった深遠な思索の道へと進んだのです。

 さて、今日は、午後1時30分からの寺子屋において、〈言の葉アーティスト〉渡辺祥子氏(ロゴセラピスト)から『日本語が教えてくれる、日本の心』と題したご講演をいただきます。
 年の初めに、人間を最も人間たらしめている要素の一つ、言葉についてよく考えてみようではありませんか。
 また、ご講演の終了後、ご希望の方は渡辺祥子さんを囲んでのささやかな新年会へご参加ください。
 お茶やお菓子や缶ビールなどでゆっくりしながら語り合いましょう。
 参加費は不要です。
 どうぞふるってご参加ください。

 今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

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