コラム

 公開日: 2014-01-12  最終更新日: 2014-06-04

日本語の魅力、言葉に宿る力 ─渡辺祥子氏の講話『日本語が教えてくれる、日本の心』─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈迫力のある講義〉

 1月11日、住職の講話はたまたま、『四十二章経』の第十一章でした。
 続いて、渡辺祥子さんの講話をお聴きしました。
 要点をまとめておきます。

○「言(コト)の葉(ハ)アーティスト」と自称している理由は、「芸術とは心を動かしてゆくもの」と考え、言葉と向き合ってもらうことで、いい意味での心の揺れを発生させ、それを共有したいからである。

○アルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』における言葉を考えよう。

「たとえ民族が奴隷の身にされようとも、自分の国の言葉を守ってさえいれば、牢屋のカギを握っているようなものです。」

・ドイツに併合されることになったフランス領アルザス地方の学校で、フランス語ではなくドイツ語を使うよう命令がくだり、アメル先生が、生徒たちへ最後の授業を行った時に語った言葉とされています。
 後になり、歴史的背景も含め、あくまでもフィクションであるとされましたが、こうした文章から受ける覚悟に学び、「言葉は民族の精神や文化を伝える〝いのち〟」と話す渡辺祥子さんの言葉には説得力がありました。

○日本語の特徴として、母音が基本であることを一番に挙げたい。

「今日(ウ)も(オ)、米(エ)の(オ)飯(イ)を(オ)食べた(ア)」(※この例は法楽寺の作成)と解放して終わる日本語に、開放弦やオープンマインドを感じる。
 相手をシャットアウトすないで済む島国であり、温暖な季候風土にあることも関係しているのではないか。
 ポリネシア諸語のハワイ語も日本語と似ている。
 こうした民族は、自然の音を左脳で聞き分ける。
 言語・論理・思考で捉える音は、〈意義ある言葉〉として耳から心へ届く。
「閑さや岩にしみ入蝉の声」の「沁み入る」に明らかである。
 雨が「しとしと」降る、あるいは、雪が「しんしんと」降り積もるなど、自然の音を心地良い言葉として感じられる。
 それは、自然と対話ができていることではないか。

○日本語の第二の特徴は、強弱ではなく、高低で話すことである。

 アナウンサーは『アクセント辞典』を持っている。
 英語の「アップル」は「ア」を〈強く〉読むが、日本語の「青空」は「ア」を〈低く〉読む。
 「朝」は「ア」を高く読む頭高である。
 「青空」は「オゾ」を高く読む中高である。
 「男」は「トコ」を高く読む尾高である。
 海外旅行のクルーズで源氏物語を朗読したおりに、デッキ掃除をしているフィリピン人の青年から、「日本語はわからないけれど、渡辺祥子さんの言葉が心地良いので、毎晩テレビを楽しみにしている」と言われたことはとても嬉しく、励みになった。

・本来のアクセントをきちんとふまえたよい言葉づかいが心地良いのと同じく、よい文章もまた、頭の中で読まれる時に心地良いのは、同様の効果があるからではないでしょうか。
 例えば、白鳥光代氏の『悪筆物語』(河北新報出版センター)に「おばさんを侮るなかれ」があります。

 新聞の書評欄や新刊案内を見ていて、すぐにでも手に入れたくなる本がある。
 今回も切り抜き持参で早速、書店へ出向いた。
 今の時代、あっという間に本の所在がわかるのかと思いきや、甘かった。
 レジのパソコンの前で若い男性店員が、それはどんなジャンルかとのたまう。
 ええっ?
 読んでもいない客にジャンル分けしてもらわないと、本の在庫って確認できないわけ?
 「ジャンルが分からないと調べられないのですか?」と一応丁寧に聞くと、そうだ、と冷たい。
 小説でもないし、評論でもないし、言語かな──と、ぶつぶつつぶやきながら、レジを離れた。
 広い店内をどうやって探そうかと途方に暮れた。
 うろついたものの、ついに降参して、今度は女性店員に尋ねてみる。
 すると、彼女、まっすぐにレジに向かうと、先ほどのレジ君に伝えているではないか。
 その彼、薄笑いさえ浮かべ、「またですか?」という目で私を見ている。
 気まずい思いで突っ立っていると、ほどなく別の男性店員がお目当ての本を持って現れた。
 その本のジャンルの担当者だという。
 なーんだ、分かっているんじゃないの。
 それにしても、たった一冊の本の在庫確認だけで、どうしてこんな嫌な思いをしなければならないの?
 どんなに売り場面積の広さを誇っていたって、もうこの書店には足をはこばないことに決めた、っと。
 それにおばさんに口コミって怖いんだから──。
 ちなみにその本のタイトルは「声に出して読みたい日本語」。
 その本を読む前に、おばさんは怒りの声を高々と上げてしまった。

 白鳥さんはプロの作家ではなく、この短篇の内容も私たちの身近にある日常的なできごとであり、脳内の言葉の流れを普通に綴ったものですが、言葉の高低を意識しながらゆっくり読んでみると、とても心地よさを感じます。
 きっと、高低の作るリズムがよいのでしょう。

○謡曲を習い、アクセントの凄さ、溜めの力がよくわかった。
 
 謡曲『羽衣』に「春霞。たなびきにけり久かたの。」という部分があり、「は る が す み」の音符は同じになっているが、謡う時は、腹の底からグッと上がるように「は」へ入る。
 お師匠さんに訊いたところ、やはり「一音目を下げるんです」と教えられ、「青空」や「明るい」と同じだと感じた。
 単純な「おはようございます」に心がこもるのは、「お」を抑えてしっかり溜めをつくり、胸から頭へと上がって行くので、思いもまた、力を帯びて相手へ届く。
 教会文化の欧米では、響かせるように言葉を発し、野の文化である日本では、風にも負けず縄をなうように言葉をつなぐのかも知れない。

○音に精神が入るためには呼吸法を用いねばならない。

 ヨガの師匠から「呼吸という字のとおりにやればよい」と教えられた。
 まず、「呼」として腹の底から息をすべて吐き出し、次に、空っぽになった腹をめがけて鼻からゆっくりと「吸」を行い、しっかりと丹田へ溜める。
 溜めた息をゆるゆると出しながら音としての言葉を乗せて行けばよい。
 鼻から吸うのは人間だけで、こうした鼻呼吸を十回、行っただけで能率が上がるという説もある。
 このように、日本語は、息に乗せるという形で使われてきた。

 緊張に負けないためには、呼吸法を使おう。
 緊張したならば、まず、緊張というエネルギーが出たと考えよう。
 そこで腹式呼吸を行い、一旦、エネルギーを抑えてからそれを行動エネルギーへ転換し、本番へ臨むのである。
 溜めてから、リコーダーを吹くように音階をつければよい。
 信長が今川へ決戦をしかける時に幸若舞(コウワカマイ)の「敦盛(アツモリ)」を舞ったのは、恐怖によって高まったエネルギーを「人間五十年、化天(ケテン)のうちを比ぶれば、夢幻(ユメマボロシ)の如(ゴト)くなり 一度生を享(ウ)け、滅せぬもののあるべきか」と抑え、怒りのエネルギーに変えてから出陣したのではないかという考え方もある。
 私たちは、自然に、言葉に助けられているのではないか。

○歌の力を考えよう

 戦闘に際し、始めに系図を名乗ることによって互いの出自を争い、血を流さずして潔く勝負を決するほど、言葉が力を持つ時代もあった。
 古来、歌は「魂の凝縮した形」とされていた。
 源氏物語には795首もの歌がある。
 〈きぬぎぬの文(フミ)〉のやりとりを理解せねば物語はわからない。
 アメリカに、源氏物語はレイプの話ではないかという批判があったが、歌を理解できないのが大きな理由ではないか。
 歌のやりとりで魂を交わし合う、身体合わせの前に、言葉合わせがあった文化はすばらしい。
 それに気づいたのが、東日本大震災後に日本人となったドナルド・キーン氏(92歳)である。
 氏は18歳の頃、セントラルパークで、源氏物語の英訳本に出会った。
 そして、交わされる手紙の文章がすばらしいだけでなく、紙や墨や折り方や、さらには季節の花が押し花として添えられるなどの細やかさに驚いた。
 何気ない日常生活の中に気高い美が潜む文化があることに驚いた。
 その後、日本語の通訳となって日本へ近づき、研究者となり、ついには日本人そのものになった。
 日記の研究にも余念がない氏は高見順の『敗戦日記』で日本人の心にうたれたという。
 その一部である。

「大声が聞えてくる。
 役人の声だ。
 怒声に近かった。
 民衆は黙々と、おとなしく忠実に動いていた。
 焼けた茶碗、ぼろ切れなどを入れたこれまた焼けた洗面器をかかえて。
 焼けた蒲団を背負い、左右に小さな子供の手を取って……。
 既に薄暗くなったなかに、命ぜられるままに、動いていた。
 力なくうごめいている、
 そんな風にも見えた。
 私の眼にいつか涙がわいていた。
 いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。
 私はこうした人々とともに生き、ともに死にたいと思った。
 否、私も、──私は今は罹災民ではないが、こうした人々のうちのひとりなのだ。
 怒声を発し得る権力を与えられていない。
 何の頼るべき権力も、そうして財力も持たない。
 黙々と我慢している。
 そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった。」

・この姿を私たちは、3月11日後の東北の人々に再度、観たのではなかったでしょうか。
「怒声を発し得る権力を与えられていない。
 何の頼るべき権力も、そうして財力も持たない。
 黙々と我慢している。
 そして心から日本を愛し信じている庶民」
 ドナルド・キーン氏は、それを震災後に再確認し、「こうした人々とともに生き、ともに死にたいと思った」のでしょう。
 渡辺祥子さんは、氏の側近から、震災が帰化の直接原因ではないと聞かされているそうですが、それでもなお、原発事故を恐れる欧米人が日本を離れる最中にあって、まるで急流をたった一人、徒手空拳で遡るかのように意志を明確にされた氏の心へ、東北人の姿が大きく影響を与えたように思えてなりません。
 鷺悦太郎氏の『アリア』こそ、東北人の魂として日本人の魂が表出した名作であると思っています。



〈『アリア』です〉

○言葉と心と身体は相関関係にある。

 もしもこの会の冒頭に「渡辺だけど……」と言って登場するとしたら、自分はどういう心、どういう物腰であるか。
 笑顔で「渡辺祥子でございます!」と言って登場したからこそ、皆さんとつながれるのではないか。
 言葉は人を横柄にもするし、謙虚にもする。
 もちろん、心が言葉を選ばせてはいるが、自然に出て来る言葉によって心が動き、動作も左右されるという面もある。
 レストランなどで「ちょっと、水!」と怒鳴る場合と「お水をお願いします」と頼む時を想像してみればよい。
 また、必死に山登りをしている人が、降りてくる人々から「顔色が悪いですよ」「お休みになった方がよくはありませんか」などと次々に声をかけられたならば、三人目あたりで、本当に力が抜けてしまうという話もある。

 実際に身体を動かしたり、イメージを使ったりする実験を行う。
 まず、右手の中指と薬指だけを柔軟にしておき、合掌すると、右指が少々、長くなっている。
 次に、右手の指指へ「ありがとう」と声をかけ、最後に掌全体へありがとうと言ってから合掌しても同じ。
 次に、右手の指指へ「こんちくしょう!」「この野郎!」などと怒鳴り、最後に掌全体へ思い切り怒鳴ってから合掌すれば、右指が少々、短くなっている。

 もしもカッとなった時、固まる身体と激情を緩やかにさせる方法として、「なーんちゃって!」と言うようにしている。

○日本語ほど敬語が発達している国はない。

 日本では敬語を用い、しかも、相対敬語と言い、同じ「社長」という言葉でも、相手との距離感や立場の違いなどによりニュアンスが違う。
 同じく敬語が発達している韓国語では、呼び方が決まった絶対敬語である。
 丁寧語や王室などを相手にする言葉などは様々あっても、敬語はその他、せいぜいジャワ語などでしか用いられない。
 JRの車内誌「トランヴェール」によれば、伊集院静氏は、電車の車中などでは身を慎むという。

「私が車両の中で静かにするのを心がけるのは、そこに悲しみの帰省をする人がいるはずだと思うからだ。
 そう考えると、電車は人の人生を乗せて走っていると言っても過言ではない」

 どのように言葉を用いるか、言葉に宿る精神を考え、言葉を大切にしたい。

 言葉のプロが血肉となった言葉について語る言葉には圧倒的な説得力がありました。
 こうした現場からの声をもっとたくさんの方々にお届けいただきたいと、心から願い、ご活躍を祈っています。合掌



〈発の新年会も和やかでした〉

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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