コラム

 公開日: 2014-01-18  最終更新日: 2014-06-04

因果応報が真理であると気づきましょう ─救いへの第一歩はカルマを知ること─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈待ち遠しい「早春」 『飛ぶ─佐藤睦枝画集』よりお借りして加工しました〉

ダライ・ラマ法王著『傷ついた日本人へ』を読んでいます。

○因果応報と自業自得

「因果の三つ目のルールにあったとおり、果は同じ性質の因によって引き起こされます。
 よい因はよい果を引き起こし、悪い因は悪い果を引き起こします。」

 このルールとは、「因には果を生み出す素質がある」というものです。
 たとえば、種には花をつける潜在的な可能性があるからこそ、条件が整えばやがて花を咲かせもします。
 もしも種に紅い花をつける素質や可能性がなければ、いかに土壌や水や光や温度に恵まれようと、決して紅い花は咲きません。

「実はこのはたらきは相手に影響を与えるだけでなく、自分自身にも同様の影響を与えているのです。
 たとえば、よい行いをして誰かを幸せにしたとき、そのよい影響が本人にも残る。
 逆に、悪い行いをしたときは、必ずその悪い影響が本人にもたらされます。
 行為の影響、行為の持っていた力というのは、そのまま自分にも残り続けるのです。」

 誰かをいじめれば、いじめられた相手が苦しむだけでなく、いじめたという悪しき行為は、行った本人にも必ずそれ相応の苦しみをもたらします。
 当山が日本の未来を憂いている一つの問題は、これほどまでにいじめが蔓延し、自死を選ぶ子供も絶えない以上、一人の死を引き起こす原因となった何人もの子供たちにもまた、必ずこの先、相応の苦しみが待っているということです。
 もしも、ほとんどの教室でいじめが行われていれば、その学校では、どの教室でも、子供たちがいつか必ず手に取らねばならない毒の花を咲かせる種へ水をやり肥料を施していると言えるのです。
 こうした怖ろしいイメージを、親も先生も説き聴かせ、子供たちへ悪行の恐ろしさをイメージさせていただきたいものです。

「これを仏教では『カルマ』(漢字では『業』)と言います。
 本来は『行為』そのものを表すサンスクリット語ですが、仏教では少し違う使い方をします。
 その行為にこめられた力、はたらき、そういったものを指して使うのです。
 そして自分に残ったカルマは、いずれ自分の身に必ず結果を生み出します。
 自分が起こした因によって新しい果が生まれ、それがまた因となって新しい果が生まれて……よ、因果はずっと連続していきます。
 そして、その影響の連続はやがて自分の方へと廻りめぐってきて、自分の身にも果を生じさせるということです。」

 カルマは、お告げめいたことを口にする怪しげな占い師や予言者などが用いると、おどろおどろしい感じを受けますが、人間が生命活動に伴って必ずつくり続けている冷厳な事実を端的に表現する重要なことばです。

「つまり悪い行いをして悪いカルマを持っている人には、いずれ悪いことが起こるでしょうし、よい行いをしてよいカルマを持っている人には、その力によってよいことが起こるのです。
 結局自分に起こることは、過去に自分がした行為の結果ということです。
 これを『因果応報』といいます。
 ただし、因果応報がすぐに成立するというものではありません。
 そのため『悪いことをしても平気だった』『いいことをしても報われない』と考えるようになり、因果に対して疑問を持ってしまう人もいるようです。」

 自分より弱そうな人を叩き、すぐに叩き返されなかったからといって、「ざまあみろ!」で済みはしません。
 いつか相手が強くなって報復にやってくるかも知れないし、自分が成長してから、かつて人を叩いたことがとても悔やまれ、謝る手段のないために長らく苦しむかも知れません。
 自分が今、やっている行いの結果が必ずしも今すぐに出ないことは体験上、誰でも知っているはずです。
 しかし、自分に都合良く考える性癖からなかなか逃れられない私たちは、すぐによい結果が出ないと不満になったり、諦めたりしがちです。
 一方、すぐに悪い結果が出ないと、軽視したり、無視したりしがちです。
 でも、結果をもたらさない原因はありません。
 年配者となり、病気に罹り、塩分や糖分に注意しながら各種数字の睨めっこをするようになれば、誰しもが因果応報を深く信じるようになるのですが、そうならずとも、早く気づきたいものです。
 
「現実には、果として何かが起きるときには、因だけではなく様々な要素や条件の影響を受けます。
 逆に言えば、そうした要素や条件が整わなければ、因があっても結果は生じてこないのです。
 因果に影響を与える条件や要素のことを『縁』といい、因と縁が揃ったときに初めて結果が生じることを『縁起』といいます。
 これを花にたとえるなら、たとえ種という因があったとそても、水や空気や温度がなければ花は咲かないのと同じです。
 物質の因果は単純なしくみでしたが、人間だとそうはいかないということです。
『悪いことをしたので悪いことが起きました』というような単純なしくみではないのです。
 因となりうる行為はこの世に無数にありますし、たくさんの要素や条件が絡み合っています。
 たとえば現代における環境問題や近代化の弊害は、その因だけでも膨大にあり、過去から少しづつ積み上げられてきたものです。
 そのため因果のしくみは非常に繊細かつ複雑で、人間が正確にそれを予測したり把握したりすることは不可能なのです。
 全てを見通せる『一切智』があれば正確に言い当てられるでしょうが、俗世にいる私たちには無理なことです。」

 善行(ゼンギョウ…善い行い)を行えば、目に見えない天の壺へおいしい飲みものを蓄えるようなものであると説かれています。
 壺は人間には見えないので、どれほど溜まっているかはわかりません。
 しかし、壺が一杯になれば必ず溢れ、私たちは心身で味わうことができます。
 もしかすると仏神が時折、少し傾け、ご褒美として味わう機会をつくってくださるかも知れません。
 同じように、悪行を行えば別の壺に必ず毒の飲みものが溜まり、仏神が懲らしめようと傾けるならば、私たちはそれを防ぎようがないのです。
 ただし、天は隔絶した絶対者の世界ではなく私たちが持つ無限の心の上方であり、地獄はすなわち下方です。
 仏神とは私たちから隔絶された絶対者ではなく、心の遥か上方に想像できる至高の領域です。
 日常生活的レベルを超えたものが時として動くことを私たちは体験上、知っています。
 古来、〈その時〉を「天の時」と言ってきました。
 私たちには「全てを見通せる『一切智』」がありません。
 しかし、〈至高の領域〉を感得できる霊性が備わっています。
 謙虚に自分を磨いていれば霊性がよくはたらき、おいしい飲みものに与(アズカ)ることができます。

 フランクル著『夜と霧』は、強制収容所で病気になり絶望的な日々を送る若い女性が感謝の言葉を述べる様子を綴っています。
 彼女は窓から見えるマロニエの樹を〈友だち〉と感じています。

「あの樹はこう申しましたの。
 私はここにいる──私は──ここに──いる。
 私はいるのだ。
 永遠のいのちだ……。」

 彼女は地獄のような状況ですら、おいしい飲みものを味わえました。
 
「ただし、しくみのありようは複雑でも、因果やカルマの原理は変わりません。
 よい因にはよい果が、悪い因には悪い果が生じます。
 一度してしまった行為は、決して取り消すことができません。
 同じように一度背負ってしまったカルマが、勝手に消えることはありません。
 その人に深く根付き、積み重なっていきます。
 そして来るべきとkに同じ性質の結果を生み出す力となるのです。
 要素や状況が整いさえすれば、必ず結果を生じます。」

 お釈迦様が真理であるとして示された因果応報は論理的に否定し得ない原理であり、あらゆる倫理や道徳の根本がここにあります。
 因果応報を否定すれば倫理も道徳も成り立ちません。
 私たちは、すなおに真理へと心を開きさえすれば、必ず、よい生き方ができるようになります。
 特定の神様や仏様や経典を信じなければ救われないわけではありません。
 誰しもが、本来持っている〈ものの道理を掴み、すなおに生きる力〉によって、自他のためになるよい生き方ができるのです。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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