コラム

 公開日: 2014-02-01  最終更新日: 2014-06-04

死とは着替えのようなもの ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(1)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。
 この本は、チベット仏教のみならず、同じ密教である真言宗はもちろん、およそ仏教と呼ばれる宗教の根幹となっている部分に通じる貴重な資料である。
 読んでみたい。

1 無限の生命

○「死」とは、古い衣服を着替えるようなもの

「人間は死を恐れる。
 究極の恐怖といえば死の他にはない。
 たしかに、〈死〉の一般的な認識は〈生命の終焉(シュウエン)〉だということになっている。
 また、やや哲学的な表現を用いるなら、〈死〉とは〈存在の停止〉であるとも言い表すことができよう。」

 四苦八苦の中でも「死苦(シク)」と呼ばれる死に関する苦しみは最も逃れがたいものであるとされている。
 誕生と共に、ひっくり返された砂時計と同じく、肉体は死という無へ向かっていのちをすり減らし始めるが、心はその反対にはたらく。
「自分は生きたい!」と。
 もちろん、生きたいといういのちある者共通の願いを持っていればこそ、与えられた生を活き活きとまっとうできるし、〈納得のできる生〉へ対する欲求が文化の花を開かせもする。
 死なねばならない肉体と、生きたい心は正反対の方向を向きながら、一人の人間に同居している。
 この引き裂かれた状態を生きる人間の宿命として、死は苦となり、「究極の恐怖」をもたらしもする。

「だが、死については、異なった宗教、哲学、伝統などによって、それぞれ異なった解釈や理解が存在する。
 たとえば、仏教のような宗教は、あるいはこれを宗教的伝統と呼んでもいいのだが、古代からのインドの宗教、哲学などと同様に、再生、転生の考え方を受け容れている。
 こうした宗教的伝統の立場に立てば〈死〉はただの〈この生命〉の終わり、〈現世(ゲンセ)〉の終わりにすぎない。」

 前世があり、現世があり、転生した先に来世があるならば、自分は〈無〉にならない。
 誕生と死によって住む世界を変えるだけである。
 死は、この世で縁となった肉体にたまたま宿っているこの世での役割終えることに〈すぎない〉。

「この場合、〈死〉は衣服を着替えるほどの意味しか持たない。
 私自身がまとっている法衣が、破れほころび、もうどうにも用を足さなくなったとき、私はこの法衣を脱ぎ捨て、新しいもので身を包むことになる。
 古い法衣は捨て去られるが、私の生命は生きつづける。
 それと同じように、生命は肉体が滅びた後も生きつづける。
 その折々の肉体から離れてもなお。」

 モノとしての肉体には当然、耐用年数がある。
 古びれば、暗算の速度が鈍り、人名を思い出すにも時間がかかるようになる。
 しかし、生涯かけて心は練られ、仏性(ブッショウ)は輝きを増し得る。
 記憶力などが鈍っても、事態の本質を把握する能力などは向上し得る。
 滅び行く肉体へ対して、心は生きたいと対抗するだけでなく、粛々と磨き続けられる。

○生命は、無限の時間を生き続ける

「生きとし生けるもの、知覚を有する生あるもの、その存在には始まりはなく、終わりもない。
 それは常にそこにあり、そして、常にそこにあり続けるであろう。
 具体的なひとつの肉体に宿る生命は、具体的な特定の条件のもとにおいて、誕生し、生を育み、やがて死ぬ。
 だが、それは特定の生命にすぎない。
 生命そのもの、あるいはそれを魂魄と呼び換えてもいいが、それには終末はなく、無限の生命を生きつづける。」

 昭和45年、画家岡本太郎は「わが世界美術史」へ書いた。
「かつて私は沖縄に行ったとき、そこで一番神聖な場所、久高島の御獄を訪ねて、強烈にうたれた。
 そこは神の天降る聖所だが、森の中のわずかな空地に、なんでもない、ただの石ころが三つ四つ、落ち葉に埋もれてころがっているだけだ。
 私は、これこそわれわれの文化の原型だと、衝撃的にさとった。」
 かつて、天降ったと気づいた人々がいた。
 岡本太郎も、そうと、わかった。
 御英霊の御遺骨に会いたくて沖縄を訪ねる私も、現世で同じ体験を持てるかも知れないし、あるいは来世へ持ち越しとなるかも知れない。
 いずれにしても、「特定の生命」をもたらす「生命そのもの」は、知覚をはたらかせる何者かとして「聖所」でうたれる体験をもたらすに違いない。
 体験者が古人であることと、岡本太郎であることと、私であることと、あるいは未来の何者かであることとに、大した問題はない。
 魂魄が「無限の生命を生き続け」、とてつもない震えが繰り返し、もたらされるところにこそ、重大な真実がある。

○新しい人生を己が手にする時が来たり

「まさに今、この瞬間、この私とともにある、たとえば魂と呼び、あるいは存在自体と呼びうる生命そのものは常に普遍であり、また、変えようとしても変更不能である。
 仏教が霊魂の不在をいうとき、この霊魂、魂とは、時々刻々と変化するようなものとしての霊魂、魂は存在しないということだ。」

「また一方で、キリスト教でいう精霊の単一性も仏教は認めることはない。
 この意味においては、仏教は霊魂不在の立場に立つ。
 しかしながら、生あるものとしての存在自体は常にありつづける。」

「したがって、この肉体、この特定の生命に属するこの具体的肉体にとって、死とは変化の時の到来を告げるのみである。
 古い着物を投げ捨て、新しい着物をまとうように、普遍的存在が古い肉体を捨て去り、新しい肉体に宿る節目である。」

 仏教は、特定の霊魂がアングルバーのように時間軸を貫いて存在するとは考えない。
 ただし、因果応報の原理は時空を超えてはたらき、過去世の影響力を受けたがゆえに〈特定の何者か〉としてこの世に誕生したのと同じく、この世での生きざまが次の世でのありように必ず関わると考えている。
 だから、強烈な影響力を残した人は、その影響力を強く持った〈特定の何者か〉となって現れるという可能性は否定しない。
 
「であるならば、〈死〉に対する人間の対応は恐怖とはまるで異なるものとなるはずだ。
 死に臨むとき、自分の心から恐怖を取り払うことができるはずだ。
 精神的な修養を積んだ者なら、死が現実に迫れば迫るほど、心は豊かに穏やかに、それでいて喜びに満たされるものなのだ。
『時は来たり。
 若々しく、新鮮で、より可能性を秘めた肉体を、そして、新しい人生を己が手にする時が来たり』と。」

 仏教における理想的人間像である菩薩(ボサツ)は、まさに、こうした意味において、「恐怖を取り払」っている。
 なぜならば、幾度、生まれ変わろうと、最後の一人をも救い尽くすまで、決して如来のおられる世界へ入ってしまわず、苦の娑婆と楽の仏界を往復するのが菩薩の使命だからである。
 死を迎えるのは、老朽化で使い勝手が悪くなった道具を使い切り、やがて別な新しい道具を手に入れることである。
 死を受け入れるための一時的な肉体的苦痛は別として、もはや、「喜びに満たされる」以外にない。
 ただし、この境地へ入るためには、すべてが空(クウ)であることを深く納得できていなければならない。

 今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM


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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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