コラム

 公開日: 2014-02-02  最終更新日: 2014-06-04

罪を犯せば救われないか? ─自責の念に囚われてしまった方々へ─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 ご自身が犯した罪の重さに苦しんでおられる方々の人生相談は少なくありません。
 仏教が罪をどうとらえているかについて少々、考えてみましょう。
 
 罪は、他を害する悪行(アクギョウ)によって生じます。
 罪は、悪行の結果として、自他へ苦しみをもたらします。
 このように、罪は、苦という悪しき結果をもたらす影響力であり、仏教ではそれを悪業(アクゴウ)と呼びます。

 では、悪とは何でしょうか?
 魂の声である良心が求めない世界です。
 だから、お釈迦様は、十の戒めをもって、良心の求める世界に反する世界を生んではならないと説かれました。
 誰もが、み仏の子としての本心(仏性)に反する世界を望んではおらず、望まない世界をもたらしてはなりません。
 なぜなら、私たちは、殺されたくはなく、救われてこそ喜びを感じ、そこに感謝という尊い思いが生じ、〈自分も〉誰かを救うという〈共に望む世界〉をつくりあげるための意志と行為が生ずるからです。

 望みと反対の苦しみや悲しみを生じさせ、怒りや怨みを生じさせる行為が悪行であり、それは悪業となって、必ず、自他へ悪しき(良心が望まない、み仏の子として本心から望まない)結果をもたらします。

 こうした理由によって、お釈迦様が説かれた十善戒は、「~してはならない」という形で説かれています。
 悪行を戒め、悪業を発生させてはならないとされたところに留意せなばなりません。
 そして、悪行でないものをこそ善行とされたことも見逃さないようにしましょう。

 第一の不殺生(フセッショウ)戒を考えてみましょう。
 殺生という、「妄(ミダ)りに他の生きもののいのちを奪う行為を行わ不(ザ)ること」が不殺生の意味です。
 だから、おもしろ半分に足元を歩いているアリを踏みつぶせば、この戒めに反した悪行であり、悪業を生むことになります。
 そして、仏道修行の目的は、こうした〈悪行を行ってはならない〉というところから出発し、〈悪行を行わない〉人となり、やがては〈悪行を行えない〉人、そして同時に〈悪行を行わせない〉人になることです。

 江戸時代の高僧慈雲尊者(ジウンソンジャ)は、54歳の時に『十善法語』を書かれました。
 それには、不殺生の到達点として慈悲という言葉が示されています。
「慈悲、不殺生戒」とあり、殺せず殺させない心こそが慈悲であり、言い換えれば、慈悲とはそうした善なる心です。
 尊者は、戒律の目ざす世界を明確に示されたのです。
 当山が平成19年に書いたブログ「十善戒を生きる」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-578.html)から十善戒を転載しておきます。

 第一 慈悲、不殺生戒(ジヒ、フセッショウカイ)
  慈しみと憐れみによって、みだりな殺生をせずに生きよ。
 
 第二 高行、不偸盗戒(コウコウ、フチュウトウカイ)
  節操を高く保ち、他人の領分へ手をかけずに生きよ。
 
 第三 浄潔、不邪淫戒(ジョウケツ、フジャインカイ)
  行いを清らかにし、邪な獣性に導かれずに生きよ。
 
 第四 正直、不妄語戒(ショウジキ、フモウゴカイ)
  正直な心で言葉を用い、嘘をつかずに生きよ。
 
 第五 尊尚、不綺語戒(ソンショウ、フキゴカイ)
  高く尊い志を汚さず、言葉を飾らずに生きよ。
 
 第六 従順、不悪口戒(ジュウジュン、フアックカイ)
  柔軟な心で言葉を用い、粗野な言葉で罵らずに生きよ。
 
 第七 交友、不両舌戒(コウユウ、フリョウゼツカイ)
  誠の交流を尊び、人を離反させずに生きよ。
 
 第八 知足、不貪欲戒(チソク、フドンヨクカイ)
  己の分を守り、貪らずに生きよ。
 
 第九 忍辱、不瞋恚戒(ニンニク、フシンニカイ)
  耐えて動揺せず、つまらぬ怒りを起こさず生きよ。
 
 第十 正智、不邪見戒(ショウチ、フジャケンカイ)
  正しい智慧を発揮し、真理に背く考えを持たずに生きよ。

 これで善行と悪行は、はっきりしましたが、私たちが悪業を恐れる悪行はどのような過程をたどって生まれるのでしょうか?
 チベット密教の聖典ラムリムにわかりやすくまとめられており、参考にしながら考えてみましょう。
 悪行が完全に成り立つには、4つの条件が揃わねばなりません。

1 対象を定める
2 意志を持つ
3 実行する
4 完了する

 たとえば、殺生という悪行を考えてみましょう。
1 対象
 相手を定めるところから始まります。
 憎いあいつ、ですが、無差別テロなどの場合は、誰でもよい、という形で相手を特定したことになります。
2 意志
 まず識別が必要です。
 Aさんを殺そうとすれば、殺生という悪行ですが、錯乱して路傍の石を殺そうとしても殺生にはなりません。
 ただし、通りがかった人や、そばにいる人誰でもいいと感情に任せて行う殺人は、もちろん前述のとおり、悪行となります。
 また、たとえば、人が飛び出してくるとは思ってもいなかったのに、結果として交通事故を起こしてしまったような場合は、殺人という悪行が完全に成り立ちはしませんが、成仏を祈るという罪滅ぼしは必要です。
 次に、動機が必要です。
 怨みを晴らしたい、といった目的意識です。
 動機をもたらすのは、貪りや怒りや愚かさといった煩悩(ボンノウ)です。
 カッとならない自制心のある人は、動機が発生しません。
3 実行
 実行せず、思いとどまれば、当然、悪行はありません。
 ただし、自分がやらなくても、誰かが意を体して行えば、悪行は成立します。
4 完了
 相手がいのちを落とせば殺生になり、落とさない場合は、暴行や傷害などの罪となり、慈悲に最も反する殺生の範疇には入りません。

 こうしてみると、たとえば、医者の忠告を無視して仕事と飲酒にのめり込み、ついに会社を休まねばならなくなって、家計を預かる妻が不安のあまり心の病気に罹った場合はどうか……。
 たとえば、家計が苦しく、過労をおして運転したために交通事故を起こし、人を傷つけてしまった場合はどうか……。
 誠意のある方ほど、結果的に相手を苦しめることになったことそのものに苦しみ、〈罪深い自分〉と考え、自分を追いつめたりもされますが、このように〈罪〉を冷静に考えてみることは、袋小路から脱する手がかりになるかも知れません。
 また、前の例なら妻が、後の例なら被害者が、あまりにも執拗に罪を咎め立てする場合は、ただただ申しわけないという思いに閉ざされず、深呼吸をして相手の執拗さから一歩、身を引き、落ちついて対応することが自分を救い、同時に、怨みに囚われている相手をその苦しみからいくらか遠ざけるために役立つかも知れません。
 もちろん、状況を総合的にとらえられず、危険を未然に避けられなかったことに対して深く自分を省みる必要があり、傷ついた相手への思いやりも軽減されるべきではありません。
 自分がこうさせてしまったという罪の意識はつきまといます。
 しかし、それでもなお、自分自身がしっかりし、生き方を変え、強く生きてこそ、相手と社会へ対して罪滅ぼしができるという真実から目を背けないようにしたいものです。
 ご自身が罪の重さに押し潰されてしまえば罪滅ぼしは叶わず、相手を怨みから解放できもしません。

 お釈迦様は、私たちが等しく煩悩を持って生まれており、ともすれば殺生などの悪行へと走りやすい存在であるからこそ、「善を行え」というよりも「不善を行わないようにしよう」「不善が行えないようになろう」と呼びかけられました。
 お互いにそうした弱い面を持った存在です。
 まっとうな人ならば、誰しもが罪を意識し、罪に苦しみ、それを解消したいという願いを持ち、人知れず努力をしているはずです。
 罪に苦しむのは、人間としてまっとうな証拠であり、自他の救いの出発点に確かに立っておられるのです。
 教えに導かれ、祈り、光明を目ざして進もうではありませんか。

 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。!==㲮

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0
<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ