コラム

 公開日: 2014-02-05  最終更新日: 2014-06-04

死神を恐れる理由 ──「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(2)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

2 死への恐れ(その1)

○死の恐怖は、未来への不安と同質だ

「誰も明日を見通すことはできない。
 そのために、常に明日は不安に満ちている。
 未来は神秘そのものでさえある。
 これは死の恐怖と同じ種類の不安である。
 人が死を恐れる大きな理由は、死後を見通すことができないからであろう。」

 実に、明日はわからない。
 それどころか、一瞬後さえ、実は、わからない。
 だから、お釈迦様は、「今、本当にやらねばならないことをやらねば、いったい、いつやるのか?」といった説法を繰り返された。
 蓄財に夢中で、人の道を知らない大富豪が、せっかくお釈迦様の説法を聴く機会を得たにもかかわらず、無視した直後、工事現場の事故で急逝した逸話などが残されている。
 流行語になった「今でしょ?」は、2500年も前から言われてきたのである。

 行動心理学者池田貴将氏は『覚悟の磨き方』において吉田松陰の文章を〈超訳〉した。

「一刻も早く、
『自分が今、やらなければならない、一番大事なことはなにか?』
をはっきりさせてください。
 悩むべきはそのことだけです。」

 明日も、未来も、死後も、わからないがゆえに、見通せないがゆえに不安なのは、自分自身についてだけではない。
 財があれば、それがどうなるかわからず、不安である。
 組織があれは、それがどうなるかわからず、不安である。
 だから、何とかしようとするが、実は、何ともならない。
 亡くなってしまえば、自分の意志では、自分の亡骸を一ミリたりとも動かすことすらできない。
 すべては〈自分以外〉の誰かの手によって行われる。
 不安と思えば、限りなく不安になるしかない。 

「だが、人は過去の経験から、明日を、未来を推しはかる術を身につけているではないか。
 今日の存在の基盤に立てば、明日はおよそかくあるであろう、と推量を働かせることは不可能ではないだろう。」

 明日はわからないのが真実でも、私たちの心は、そう知っていながら、それをある程度、忘れていられるようにできている。
 誰しもが、ほとんど無意識に、〈自分は明日も生きているだろう〉と思っているはずだ。
 なぜなら、明日が〈わからない〉とは、実は、生きていられるかどうかがわからないだけでなく、死んでいるかどうかもわからないのであり、明日も今日と同じく生きていて何の不思議もないからである。
 そして、今は、確かに生きている。
 確かなのはそのことだけでしかなく、その確かさが、わからないという事実を覆い隠してくれる。

「実際に、人間はそのようにして毎日の日常を生きている。
 明日がわからないからといって、その不安のために明日を迎えられない者などいない。
 同様に、この〈現世〉から来たるべき〈来世〉がある程度は見えてくるはずだ。
 ならばことさら、死に恐れおののく必要はないだろう。」

 明治36年、旧制一高の学生藤村操(16才)は失恋をきっかけに悩み、「人生曰(イワ)く不可解」と書き残し、華厳の滝へ飛びこんだ。
 不可解とは答がないということである。
 そして、私たちは、答のない問いを発する能力に恵まれている。
 これが幸か不幸かは、わからない。
 問いを発するところに文学も科学も宗教も芸術も生まれ、文化の花々は咲き乱れるが、そうしたものに携わる人が幸か不幸かは、本人にしかわからず、畢竟、本人の問題である。
 当時、40人もが藤村操同様に滝でいのちを落としたが、その流行もやがては廃れた。

 法王は、現世のありようによって、ある程度、来世が推しはかられると説いた。
 自分が死後、どうなるかはわからないが、自分が〈自分とまったく別のもの〉になるとは想像しにくい。
 一つには、〈今〉のありようが確かであると感じているからである。
 確かなものがなくなるであろうことは不安でも、確かなものがまったく別ものになるという具体的なイメージは持ちにくい。
 また、理論的に認識しているかどうかにかかわらず、私たちは因果応報をある程度、信じている。
 会社へ出勤するのは、右足、左足と歩を運べば通勤の道はやがて自分を会社へと到着させ、そこでは昨日と同じように仕事が待っており、今日はたらけば、明日も生きられると信じているからである。
 この思考の流れすべてが因果応報の中にある。
 だから、今ある生が死を迎えても、生とまったく無関係な死後へ入って行くとは考えらない。
 私たちは、今の生きざまが何らかの形で死後へとつながると感じているからこそ、死ぬ存在であるとわかっていながら、「ことさら、死に恐れおののく」こともなく、生きていられる。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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