コラム

 公開日: 2014-03-23  最終更新日: 2014-06-04

二種類の真理 ─戦争は真理を生かさない─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 今月は、桜が咲き、春が実感される時期であり、学校も多くの企業も新たな年度に入る〈始まりの時期〉です。
 そんなおり、あらためて真理について考え、また、きな臭さが濃くなってきた状況に際し、戦争について、少し、考えてみましょう。

 お釈迦様が説かれた因果応報の原理は決定的真理であり、もしもこれが崩れれば、私たちは是非善悪の判断力を持った人間として生きようがありません。
 あらゆる意志に対して、それに見合った結果の望みようがないからです。

 しかし、現実の世を眺めれば、正直な人や、まじめに汗をかく人が必ずしも報われず、むしろ、他人を欺き、人間をモノ扱いして都合良く利用し、血の通った人が苦しんでいても心に痛みを感じないようなタイプの人が豊かになったり、出世していたりするように思えたりもします。
 14年前に発表され、今でも人気のある『架空取引』など、高任和夫氏が書く一連の企業小説群は、二つのタイプの人々が織りなす人間模様を鋭く、温かく描いています。
 私たちは、こうした状況をどう考えればよいのでしょうか?

 仏教はそれを勝義諦(ショウギタイ…究極的真理)と世俗諦(セゾクタイ…現象世界にはたらいている真理)の二つに分けて説いています。

 たとえば、すべては因と縁によって生じ、滅し続けており、私たちの身体をおおっている皮膚の細胞はわずか一ヶ月、脳細胞も一年経てばすべて入れ替わり、〈以前の自分〉としての姿も脳も、どこにもなくなります。
 もちろん、いつ、いかなる理由で壊れ、滅しても当たり前でしかありません。
 身体は因と縁によって、かりそめに形をとっている〈空(クウ)〉の存在です。
 では、一年後の存在は〈別人〉として扱われるかと言えば、そうではなく、生きている限り〈同一の人物〉として扱われます。
 つまり、時間を貫いて何年も同じように存在する身体を持った人はどこにもいないにもかかわらず、さらにはまったくアテもないのに当面、生き続けることを前提にして約束ごとを交わし、愛したり、憎んだりします。
 勝義諦の目から観れば、人は常に変化して変わり続けるつかみようのない〈かりそめの存在〉でしかないのに、世俗諦に頼って日常生活を送る上では、明日も生きるであろう〈不動の人〉人として扱うしかありません。

 すべては空(クウ)であり、いのちあるものがひとしく輪廻転生(リンネテンショウ)を繰り返しているという勝義諦をつかむためには、出家・在家を問わず、仏道を学び実践し、智慧を磨かねばなりません。
 一方、倫理や道徳などの世俗諦を学び、正しく生きれば、広く信頼され、我がままでない人格者としてまっとうに生きられます。
 そして、両方を兼ね備えれば、菩薩としての役割を果たせます。

 さて、お釈迦様は、戦争の理不尽さに関して衝撃的な言葉を残しています。
 戦争になり、悪名名高いアジャータサットゥ王が、お釈迦様へ深く帰依していたパセーナディ王を破った時のことです。

「パセーナディ王は、この夜、敗者として苦しんで眠るであろう」

 お釈迦様は、戦争の帰結は善悪によるのでなく、いわば悪の側にいる者に敗れた善人であろうと、敗者は苦しまねばならないと冷徹に説かれました。
 戦争はいかなる人へも必ず、この世にある者としての苦しみ、つまり世俗的苦しみをもたらすのです。
 またある時、今度はパセーナディ王が勝ち、アジャータサットゥ王を生け捕りにしましたが、慈悲深いパセーナディ王は宿敵を解き放ちます。
 それを知ったお釈迦様は言われました。

「他を殺せば、己を殺す者を得。他に勝てば己に勝つ者を得」

 人を殺す戦争による因果は廻り、勝者と敗者はずっと勝者や敗者でいることはできません。
 事実、これほどの王でありながら、パセーナディ王は不遇の最期を遂げています。

 戦争は、私たちが人間として生きる最後のより所である絶対的真理を無惨な形で表し、普段のより所である世俗的真理を蹂躙するだけで、真の勝者など、どこにもいはしません。
 み仏の御眼からご覧になられれば〈正義の戦争〉はあり得ません。
 このように、あらゆる生きものが最も嫌い、恐れ、逃れようとする〈殺されること〉を実現する戦争は、霊性ある存在が自然に求める真理・真実にあふれた世界を現出させるのではなく、反対の不条理を顕わにするだけの愚かしい行為です。
 必ずしも明確に意識してはいなくとも、真理をつかみたい、日々をまっとうに送りたいという姿勢で生きている私たちは、同時に、それらを根底から台無しにする戦争をどうすれば避けられるか、よく考えたいものです。

 最後に、〈言の葉アーティスト〉渡辺祥子さんからお送りいただいた御著書『ことづて』の一文を引用させていただきます。
 それは『朴葉の庭(ホウバノニワ)』と名づけられた児童養護施設を造るため、全勢力を傾けている熊田富美子(福島県須賀川市)の言葉です。

「内側から自分で自分をむしばむことのないよう、道端の花の美しさや、小川のせせらぎ、風の心地よさ感じる感覚、歓びの感覚を大切にしたい。
 自分自身の細胞を活性化させ、小さな幸せを皆で喜び合いながら、取り組んで行きたいと思います。
 それが必ず、未来をつくる子どもたちのためになると思うから」

 戦争は、こうした志も精進も破壊し尽くします。
 よくよく考えつつ生きたいものです。

 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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