コラム

 公開日: 2014-04-02 

意図の善悪、暴力と非暴力 ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(16)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。


 
〈岩出山の『森栖』さん〉

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

第三章 カルマの法則

1 カルマの善悪

○行為を判定する基準は、意図と結果による

「人が心をこめて善かれと意図したことも、ときとして最悪の結果を招来することがある。
 それとは逆に、邪悪な心に導かれてさえ、たまたま善い結果を見出す場合もある。
 ならば、意図がいかであれ、結果さえ善ければそれでいいのだろうか。
 否である。
 善き意図こそが大切なのだ。」

「特定の行為の善悪を分ける実際の境界区分を見つけることは、はなはだむずかしい。
 行為そのものが存在するところの基盤についても判定しなければならないからだ。
 しかし、物事を究極までつきつめたところでは、意図と結果が、それぞれの行為の善悪を判定する主たるふたつの要素であろう。」

 私たちの日常は、意図と結果がずれるケースの連続である。
 たとえば、病院へ友人のお見舞いにでかけ、早くよくなって欲しいとの一念から「私もご本尊様に祈ってるよ。がんばってね」と握手して別れたとする。
 訪ねた人が、「ああ、思ったより元気でよかった。あの分ならもうすぐ退院だろう」と安堵しながら帰途に就いている時、見舞われた人が必ずしも心から感謝しているとは限らない。
「がんばってくれと言われても、お医者さんの指示に従っているしかないのに、これ以上、どうがんばればいいの?どうせ、元気な彼女には、私の気持なんてわからないんだから」
 こんなふうに、ひねているかも知れない。
 古来、励ましの言葉として自然に用いられてきた「がんばって」すら、あまりにも神経質な受けとられ方をするようになった現代では、一語、一語の用い方が難しい。

 連続殺人事件で死刑判決を受けた木嶋佳苗被告が逮捕された直後、過去につき合いのあった男性の中で、どうしても信じられないと言った人がいた。
 彼は、木嶋佳苗被告にとって奪い尽くす対称ではなかったのか?
 それとも、まだ、仕掛ける段階ではなかったのか?
 我欲、怨み、怒りといったものがある以上、この世は隠れた悪意の岐(チマタ)であると言えないこともない。
 それでも社会が成り立っているのは、幸いにして、多くの人々が、悪意に正直になれば我が身が破滅することを知り、自分を守ろうとしているせいであると言えないこともない。

 いずれにせよ、意図と結果にはそれぞれ善悪がある。

○非暴力とは、本質的に慈悲心の発露である

「例を挙げて見ていくことにしよう。
 たとえば暴力。
 暴力的に見える言葉、あるいは、目の前には暴力として表現されたある種の行為があったとしても、それが実際には暴力などといった悪しき行為ではないことがある。
 ただ、同情心、思いやり、慈しみにあふれた心が、たまたまひどい言葉となったり、物理的にも荒々しい働きかけとなったりすることがある。
 人を擲(ナゲウ)ったりする場合さえあるだろう。
 だが、心の深層に潜むその行動をつき動かしているものは、本物の親愛の情、人を慈しむ心である。
 この場合、意図は正しい。」

 粗野な言葉や態度でしか誠意を表現できない人がいる。
 多くの場合、愛すべき人柄が理解されなかったり、誤解されたりする場合も多い。

「では、こうした場合はどうか。
 優しく甘味な言葉で語りかけ、微笑み、あるいは、贈り物などして、人を欺こうという場合である。
 行為そのものは暴力的でもなければ、人をいたぶり苦しめるものでもない。
 結果はともあれ、表面には暴力として表現されない。
 だが、その意図においてこれは悪であり、暴力そのものである。」

 独り暮らしのお年寄りへ善意を装って近づき、詐欺や窃盗に走る輩がこの典型である。
 表面的な優しさを武器に、無理に高額な買い物をさせたり、不適切な契約を結ばせたりする手口は古今東西なくならない。
 怪しい宗教団体もまた、入り口の飾り具合がすばらしかったりする。

「非暴力とは本質的に慈悲心の発露である。
 したがって、慈悲心に動機づけられた行為はすべて非暴力的なものとなる。
 逆に、憎悪によって動機づけられた行為は、基本的に暴力的である。
 憎悪より出た行為はすべて暴力と見なしていい。
 ここまでくれば後は明瞭だ。
 物事は、結果よりはるかに意図が重要だということが。」

 ダライ・ラマ法王は、他を害することすべてが「暴力」であると言う。
 いのちの力が悪によって暴れるのである。
 お大師様は説かれた。

「悪をやめよ。
 善をなせ。
 一切のためになれ。
 そのためにこそ、十善戒を守れ」

 ここに慈悲心があり、真の「非暴力」がある。
 表面的な言動が粗野であるかどうかではなく、むしろ、意図が戒めに背かないことこそが重要である。

○宗教的には、意図こそ最も尊重すべきもの

「では、道義心という観点から導き出される見解を述べてみよう。
 このとき、ある場合においては、意図はそれほど善悪の判断に関連してこない。
 意図そのものの重要度は低いという場合がある。
 行為そのものがより大きな意味を帯びる、そういう場合である。」

「ここに花がある。
 われわれは花の世話をする。
 われわれが花を慈しむのは、花がなんらかの有用のものであると思うからである。
 だから、花からの見返り、具体的な花からの働きかけがないにもかかわらず、われわれは花を植え、水をやり、可愛がる。
 花は美しく、心を和ませてくれるからである。」

「だが、花にはまったくその意図はない。
 われわれを楽しませようとする意図は花には皆無である。
 したがって、こうしたときには、意図よりも行為を、行為と呼ぶよりは、そのものがあることによって及ぼす影響を、重視するように考慮すべきだろう。
 花は何一つ意図しないにもかかわらず、われわれは花から多大の恩恵を受けている。
 花がわれわれに与えてくれるものは、厳然としてそこにある。」

「これと同様に、行為が意図に優先するような場合が他にも考えられる。
 意図とは無関係に行為が大切な役割を演じるような場面が存在する。
 意図しないままに他者に恩恵を施したり、施されたりすることが、現実の世界にはいくらもある。
 特定の事象にしぼって考慮すれば、意図とはかかわりなく、行為がその価値を決定することはよくあることである。」

「だが、宗教心の観点より考察したとき、意図は必ず結果より重要である。
 物事の善悪を見極めようとしたとき、意図こそが最も尊重すべきものであることは間違いない。」

 たとえば、嫌々ながら登校する、あるいは出社する、あるいは町内の行事に参加するといったケースを考えてみよう。
 今日は遊びたいけど、怖い母親にも先生にも叱られるから……。
 あの憎たらしい上司など顔も見たくないけど……。
 皆さん、こんな面倒なことやりたくないだろうに、暇な会長が張り切っているばかりに……。
 本心はこうした状態でも、「行為そのものがより大きな意味を帯び」て、結果オーライとなることには少なくない意義がある。
 順調な卒業、安定した収入、ご近所さんとの交流、いずれもが、生きてゆくことに資するのである。
 それでもなお、学校生活を楽しめるよう、仕事に精魂込められるよう、地域社会に親和の空気が流れるよう、心から願いたいものである。

 今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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