コラム

 公開日: 2014-04-03  最終更新日: 2014-06-04

お釈迦様が説かれた「先輩と後輩」について

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。







〈岩手県一関市千厩町へ地鎮祭にでかけました。当所鎮守松澤神社です〉

 お釈迦様が80歳で入滅される時、先輩と後輩の別をきちんとつけなさいと説かれたことはきっと、あまり知られていないだろう。

 お釈迦様は、徹底して対機説法(タイキセッポウ)という方法で説法された。
 相手にとって必要な真理を相手が理解できる方法で説かれたのである。
 だから、自らを教師と呼ばれた。

「教師の言葉は終わった、教師はいない、とそうみてはならない。
 わたしによって説かれ教えられた法と律とは、わが亡きのちにあなた方の師である。」

 肉体を持った仏はいなくなっても、説かれた真理と生活上の掟は導きの灯火として残ると説かれたのである。

 続けてこう指示された。

「今は、お互いに『友よ』と呼び合っているが、わが亡きのちには、若い比丘は先輩の比丘から名または姓、あるいは『友よ』とよばれるよい。
 若い比丘は先輩の比丘を『尊者(ソンジャ…尊い方)よ』あるいは『具寿者(グジュシャ…寿命と徳を兼ね備えた長老)よ』とよぶがよい。」

 なぜだろうか?

 師と弟子とは一対一、誰も介入できない関係である。
 一人の師に弟子が百人いれば、百の絶対的関係が存在する。
 では、師がいなくなれば、弟子たちはみな平等に横並びの意識で修行生活を続ければよいのか?
 そうではない。
 それでは教団が成り立たない。
 遺された〈真理と生活上の掟〉を師として尊びつつ乱れのない集団生活を贈るためには、誰しもが納得できる形が必要である。
 それが、先輩と後輩の関係である。
 何でも能力差を調べる現代のように、悟りの程度を比較しようとしても、行者たちと異なる次元から判断できる仏はもう、いない。
 ならば、かつてインド古来の部族社会が機能していた頃、自由な論議が進んだあたりで、人生の先輩としての長老が叡智で適切に行司役を務めたのと同じく、長く弟子だった先輩が導き手となる以外の方法はないのである。

 こんなことを考えていたおりもおり、4月2日付の朝日新聞を眺めていたら、政界には尊敬も、先輩を立てる心もないという記事が目に飛びこんできた。
 日本維新の会を率いる橋下徹共同代表の発言である。
 橋下氏は、タモリへの尊敬が『笑っていいとも』を長寿番組たらしめたと語り、政界を省みた。
「尊敬という関係がない政治の世界でリーダーシップを発揮するのは至難の業だ」
 本当だろうか?
 かつて娑婆にいた頃、ほんのいくばくか、政治の世界にかかわったことのある者としては、なかなか信じがたい。
 わずか数十年で政治風土が激変したのだろうか。
 また、橋下氏はこうも言った。
「会社なら社員は上司の、従業員は社長の言うことを聞かねばならないが、政治の世界には人事上の上下関係もない。」
 自分を選んでくれた有権者以外、横並びの政治家仲間からどうのこうのと言われたり、指示されたりするいわれはないという意味だろう。
 日本のため、人を尊敬することによって尊敬される人物に舵取りをしてもらいたい。
 日本のため、「長幼の序」という美風を失わず、「忍辱(ニンニク…忍耐)は行(ギョウ…修行)の尊(ソン…最も尊いもの)」というお釈迦様の言葉どおり、耐えることによっておのづから磨かれる人徳を持つ人物に舵取りをしてもらいたい。
 橋下氏はまだまだ若い。
 意欲に期待したい。

 さて、なぜ、年長者や先輩を敬うことが大切なのか?
 それは、それだけ長く人間をやってきた、あるいは仕事をやってきた人は、時を経ることなくしては熟成しない何ものかを持っているからであろう。
 私は中学一年生の時に、〈何ものか〉の凄まじさを実感した。
 運動会最後の種目、クラス対抗リレーである。
 3年生のアンカーを努めた先輩が、裸足に上半身裸という貧しい姿で、抜かれてもあばら骨むき出しの胸を反らせながら懸命に食いさがる様子に、神々しいものを感じ、息を呑んだ。
 それ以来、自分のまわりに〈先輩〉を見つけては尊んできたつもりである。
 とはいえ、商売をしていた頃は生意気に先輩とも勝負をしたが、ふり返ってみれば、勝とうが負けようがいつも先輩方の大きな心に見守られていたのだと思え、冷や汗が出そうになる。

 当山では、お釈迦様が指示されたとおり「尊者(ソンジャ…尊い方)よ」の心で、ご縁の方々へ対応するよう努力している。
 職員たちも、同じである。
 一旦、袈裟衣をまとえば住職は師としてふるまわねばならないが、依然として、人生の先輩へ対しては若輩である。
 仏弟子は、死ぬまで、自分が若輩者である意識を離れてはならないと考えている。
 さもないと、長らく生きてきた人間にしかない尊いものが観えなくなり、人の道からも、仏道からも外れて行きそうだからである。

 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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