コラム

 公開日: 2014-04-26  最終更新日: 2014-06-04

慈愛への道を拓くものは何か ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(25)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






〈当山の『自然墓(シゼンボ)』では梅が咲いています〉

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

第四章 愛と慈愛、そして性愛

1 真実の愛

○宗教、哲学が慈愛への道を拓く

「修養を積み、瞑想を行えば、誰でもこのような真実の愛(慈愛)をわがものとすることができるようになる。
 信心深いか否かは問題ではない。
 宗教、哲学は、常に人をこうした真実の愛へと導いてくれるものなのだ。」

「核兵器の照準を互いに相手に合わせて対峙していた冷戦のさなかでさえ、公式に相手を敵と呼び合っていたときでさえ、核戦争は双方の破滅でしかないという現実が、両者をして対話へと導いたではないか。
 彼らはそれを共存と呼んだ。
 したがって、人間社会の条件を考え合わせて、個々の人間のより重要な条件、より遠大な視野に立った条件を考慮すればいいのだ。」

「もし、われわれがネガティブな感情を、ポジティブな感情より優位に置き、その赴くままにさせるとしたら、われわれ人類に未来はない。」

 簡単に憎悪へと裏返るような愛ではなく、相手も自分も、安心に暮らしたい、幸せでありたいと願う同じ人間同士であるという実感に促され、相手を選ばずに深い思いやりをかける「真実の愛(慈愛)」は、誰か特定の仏神や自然など、何ものかに対して「信心深い」から生ずるのではない。
 歴史の時間を背景とした幾多の考察によって〈道理である〉と認められ、膨大な行者・聖者の体験と探求によって〈真実である〉と保証され、伝えられた宗教は、「常に人をこうした真実の愛へと導いてくれる」のである。
 そこには当然、哲学もはたらいている。
 哲の字には、そもそも、斧で木を切って神梯(シンテイ…神が用いるハシゴ)をつくるという意味があり、白川静は「神に誓約したり、神事に従うているときの清明な心を哲というのであろう」と説いている。
 私たちがどうにもならぬところへ追い込まれて苦しみ、これはいったいどういうことなのか?、と、普段、損得や好き嫌いや気分などによってはたらかせている思考ではない叡智が動く時、私たちは、自分では気づかぬうちに「哲」の世界へ入っている。
 ダライ・ラマ法王がここで説かれている「哲学」は、必ずしも学問としてではなく、苦しみの中から発せられる根元的問いに対する誠実な姿勢を意味するものだろう。

 私たちが、愛の切なさに身悶えし、憎悪の黒い炎と忿怒の赤い炎に心を焼き、狂喜や狂気に翻弄され、どうにもならなくなった時こそ、宗教や哲学の世界が静かに開いている門戸に気づく。
 こうした〈どうにもならぬ状況〉は人間対人間としても、組織対組織としても、国対国としても起こり得る。
 そこで「個々の人間のより重要な条件、より遠大な視野に立った条件」に立たせるものこそ、自他を平等に観る宗教的視点であり、状況を根元的にとらえる哲学的視点である。
 こうした視点は仏神の眼に通じており、必ず〈解〉がもたらされる。
 そこに発する力をダライ・ラマ法王は、「ポジティブな感情」と説かれたのではないか。
 どこまでも我(ガ)から離れられず、〈解〉が得られないままに暴発するものを「ネガティブな感情」と説かれたのではないか。

 ちなみに修行と実践の一つとして『三十七の菩薩(ボサツ)の実践』がある。
 同名のブログに紹介した。

「わが子のように大切に育てた者が
 私を敵のように見なしたとしても、
 病気のわが子に接する母のようによりいっそうの愛情を注ぐ
 それが菩薩の実践である」

 我が子同様に育成した相手が、自分をあたかも敵と見なすかのような態度をとった時も、病気になった我が子のために一生懸命看病する母親と同じような心で、よりいっそう慈愛を注がねばならないという。
 これが、菩薩としてこの世に生きる者へ課された実践項目である。
 ダライ・ラマ法王は説かれる。

「一般的に『仕返し』や『復讐』というのは、自分自身の心を満足させるための行為です。
 そうすることでしか、自分の心を満足させられませんね。
 しかし、瞑想することで心が満たされるとしたらどうでしょう。
 満足するという点では同じです。
 ですから、瞑想することで、目的は達成されたことになるのです」
「とにかく、心が安らかになるためには、満足を得られる必要があり、満足するためには、自分の眼の前に嫌な相手を観想し、ひざまずくことができたなら、心は安らかになっていきます」

 失恋の後遺症に七転八倒し苦しみぬいたAさんは、み仏の学び、実践し、こうした心境にたどりついた。
「思い出をくれた彼女に感謝して、痛みさえを糧に」して、しっかり生きて行きたいという。
 実に、仏法は性愛に発する苦しみをも克服させ、「慈愛への道を拓く」のである。

 今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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