コラム

 公開日: 2014-06-08 

死者との距離感について ―クマとドングリの話から―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 これまでは、こう言われてきた。
「クマが里に出るのは、山にドングリがないからだ」
 季節などの関係でドングリが少ないと、食べものを探しに里へ降りてくるという。
 そうだろうと思わせる説である。
 しかし、最近、記事を読んで驚いた。
「クマが里に出るのは、山にドングリが多いからだ」
 ドングリが多いとクマが増えすぎて、里にまで生活圏を広げるのだという。
 これもまた、そうだろうと思わせるもっともな説であるが、前説と組み合わせればおかしなことになる。
 ドングリが少なくても、多すぎても、クマは里に出るのである。
 クマが里に出なかった昔は、常に天候が一定し、ドングリはクマの都合へ合わせるように実っていたのか?
 もちろん、そんなことはなかろう。
 つまり、これまで山にいたクマが里に出るようになったのは、第一義的に、ドングリのせいではないのだ。

 ところで、お葬式やお墓を不要であると考える人が増えた原因は、いろいろと取りざたされている。
 経済観念、跡継ぎ問題、寺院への不信、などなど。
 その多くはどうも、クマとドングリの話に似ていると思われてならない。

 明治大学野性の科学研究所所長中沢新一氏は指摘する。
「古代の積石古墳にせよ、環状列石などにせよ、古代人はしょっちゅう草を抜いて、死者の世界には大体草が生えないように手入れされていました。
 現代のお墓も、できるだけ草が生えないように、石でびっしり覆っています。
 それによって死者との間の距離感を表しているのですよね。」(『近代仏教を問う』より)
 縄文時代には円環状につくられた村の真ん中に死者を葬る場所があり、夜になると踊って死者を呼び出していたらしく、時代と共に、死者と生者の距離は微妙に変化してきた。
 今は、その距離感が最も大きくなった時代なのではなかろうか?

 祭がそもそも「霊祀(タママツ)り」であったことが忘れられ、人気歌手のコンサートに近いものとなりつつあるのは、その証拠である。
 若い方々が最新の振り付けで飛び回ることも結構だが、祭の光と音と姿は、闇と静寂と影とがあいまってこそ世界の真実をかいま見せるということを忘れると、薄っぺらになる。
 祭や祝いは、死者との距離感によって決定的に性格づけられる。

 ある人の誕生祝いがあった。
 盛大な会場で、主役は冒頭に述べた。
「最近、私をとりあげてくれた産婆さんが亡くなった。
 産婆さんはいつも、私が生ませてやったのよと言っていた。
 私がこの世に生ませられたのは、あのお婆ちゃんのおかげだった」
 神妙な面持ちとゆっくりした口調に、シャンデリアの光が、参会者の瞳が、一気に濃淡の度を増した。

 秋田県で行われる「西馬音内の盆踊り」は、死者と生者の距離感があまりにも見事だ。
 発祥が、豊年踊とも、落城した城主の慰霊踊りとも言われているのも頷ける。
 前後が朱い紐か布でとめられ、あまり顔が見えないように作られた深い半月形の編み笠、真っ黒で長く、目の部分だけが小さく開けられたひこさ頭巾。
 力強いお囃子と、月夜に飛ぶ雁の形を模した願化(ガンケ)、そして音頭。
 いのちの饗宴なのに、不思議にも、死者もあの世も共にある。
 死者に支えられた汗が流れている。
 ちなみに、願化の歌詞である。(http://senshoan.main.jp/minyou/nisimonai-word.htmより)

○ヤートーセ ヨーイワナーセッチャ
○揃うた揃うたよ 踊り子揃うた 稲の出穂より ササなお揃うた (ソラ キタカサッサ ノリツケハダコデシャッキトセ)
  ※以下、掛け声同じ
○振れや振れ振れ 背丈の袖を ここで振らねで ササ何処で振る
○お盆恋しや 篝火恋し まして踊り子 ササなお恋し
○月は更けゆく 踊りは冴える 雲居はるかに ササ雁の声
○踊る姿にゃ 一目で惚れた 彦三頭巾で ササ顔知らぬ
○今宵一夜は 負けずに踊れ おじゃれ篝火 ササ消ゆるまで
○今宵一夜は 力の限り 踊れ東の ササ白むまで
○踊れ踊れよ 夜が明けるまで 響く太鼓に ササ月がさす
○がんけ踊って 知らねでいたば 夜明け烏が ササ阿呆と言うた
○踊ってみたさに 盆踊り習った やっと覚えたば ササ盆が過ぎた
○踊り踊らば 三十が盛り 三十過ぎれば その子が踊る
○押せや押せ押せ 下関までも 押せば港が ササ近くなる
○お前百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の ササ生えるまで
○惚れた惚れたよ あの踊り子は 顔は知らねど ササ忘られぬ
○浮かれ浮かれて 踊っていたら 夜明け烏が ササ阿呆と啼く
○どうせ一生 思いのままに 命短し 悔いなく踊れ
○艶な編笠 絞りの浴衣 呼んでみたや あの踊り姿
○太鼓櫓で 踊り子見れば 秋の実りの ササ稲の様だ
○おじゃれ篝火 懐かし恋し またと会うやら ササ会わぬやら

 何ごとも、〈クマとドングリ〉のように単純化しないで考えたい。
 特に死者との距離については知性だけでなく、感性もはたらかせ、慎重を期したい。
 それは、自分がどう生きるかということに直結しているからである。

 今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。/

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0

こちらの関連するコラムもお読みください。

<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

消えた因縁 ─心の檻(オリ)から脱した話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

「みやぎシルバーネット」20周年おめでとうございます ─無私の編集長につながる方々─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

平成28年12月の行事予定 ─護摩・書道・寺子屋・お焚きあげ─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 行事・お知らせ ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ