コラム

 公開日: 2014-07-09 

自由の先に待っているのは、果たして、パラダイスか? ―映画『ゆれる』の示すもの―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 平成18年作の映画『ゆれる』を観た。
 西川美和監督、香川照之とオダギリジョーが兄(稔)と弟(猛)の役で出演している。
 吊り橋から女性が落ちて亡くなった事故について、他の目撃者がいない中、猛は稔が突き落としたところを見たと証言する。
 誰からも求められてはいないのに――。

 兄弟はそもそも、仲が悪かったわけではない。
 田舎で家業を継ぎ、親の面倒もみている兄と、都会へ出てカメラマンになった弟にはそれぞれ、相手への違和感が生じていた。
 子どもだった二人の人間関係を彩っていた無邪気さがなくなった代わりに、不信感や嫌悪感が育ったのだ。
 もちろん、二人は〈それらしく〉ふるまう。
 特に田舎では、1対1の場面でぶつかっていながら外では誰しもが、〈それらしく〉ふるまい、社会が成り立つ。
 そこで葛藤を生きる兄と、種々の違和感から逃れ、単独の〈個〉として生きやすい都会の空気を吸っている弟とでは、ズレが増大する。

 葛藤はおとなしい兄の奧心へ冷酷さを生んだ。
 一方、気持を外へ出す性格と気ままな生活は、弟へいくばくかの無邪気さを残しておいた。
 猛が行った証言の影響もあり殺人者の汚名を着て刑期をまっとうした稔は、出所後、そのまま、事件の現場へ向かおうとバスを待つ。
 偶然、古い8ミリフィルムを目にし、二人が〈確かに兄弟だった〉子ども時代の無邪気な心をよみがえらせた猛は出所を知り、刑務所へ向かい、稔を見つける。
 激しく行き来する車の洪水をはさんで、声を限りに呼ぶ。
「兄(ニイ)ちゃあん!兄(ニイ)ちゃあん!」
 凍った顔の稔は猛に気づき、口元を微かにほころばせるが、二人の視線を断つようにバスが到着して物語は終わる。

 互いに異なった肉体を縁として生きている私たちの心も又、すべて異なっている。
 異なった性格、異なった好み、異なった考えを持っている〈個〉は、生まれた時から、社会的関係の中で生きる。
 関係には切れないものと、切り難いものと、切りやすいものとがある。
 切れないのは親子関係や兄弟関係など血のつながった範囲である。
 切り難いのは、夫婦関係や、職場や町内における人間関係である。
 切りやすいのは友人関係であり、知人関係である。

 切れない、あるいは切り難い人間関係の中で強い違和感を抱いた相手との関係を持続させるには根気が要る。
 智慧や倫理意識などを総動員してなお、耐え難い場合も山ほどある。
 時には相手の不幸や失敗を願う黒雲が心に広がり、暗さは罪の意識を生じさせる。
 それは傍から気づかれにくく、誰にも言えない。
 昔から「兄弟は他人の始まり」と言われてきた。
 兄弟はいつまでも兄弟なのに、まったく別々な道を歩みがちであり、つながったまま、離れるのである。
 この映画は、そこを的確に衝いた。

 最終場面近くで、兄弟間の無邪気さを取り戻した猛は、出所する稔を出迎えようと決心し、車を走らせながら思う。
「朽ちた橋がよみがえり、腐った欄干がもちこたえることはあるだろうか?」
 かつてあった違和感と無縁の兄弟間における心のつながりが「橋」であり、もう、とっくに朽ち果てた。
 それでも、兄弟という「欄干」は危うく残っている。
 兄もそう願ってくれるかどうかはわからないが、弟は欄干を頼りにもう一度、橋をかけたいと願う。

 家の意識が薄れ、職業の選択も形式的には縛りがなく、どこででも住めるようになった私たちは、違和感から逃れる環境を求めやすい時代に生きている。
 しかし、所詮、自分以外の他人と何らかの関係を持ちながら生きねばならないことに変わりはない。
 私たちは、自由を得たことによって、違和感を解消し、違和感に負けない力をつけつつあるのだろうか?
 もしかすると、血縁や地縁などからの〈逃走〉は、違和感に耐えたり、違和感を生かしたりする錬磨のチャンスを奪い、違和感に弱い人種をつくりだしていはしないだろうか?

 昭和40年、エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』が日本で出版された。
 しっかりしない〈個〉が自由へ走ったとき、個人としての人間も、そうした大衆によって動かされる社会も危うくなると指摘した。
 あれからちょうど半世紀。
 あきらかな文明の転換点が訪れているのに、それを脇へ置き、個人(実態としては一部の)がより豊かになり、国がより強くなるというこれまでの価値観から抜けられないでいる今、私たちは危うく残っている〈橋〉や〈欄干〉にこそ、気づくべきではなかろうか。
 きっと、逃げる先にパラダイスが待ってはいない。
 4度に分けてようやく『ゆれる』を見終わり、私たちは立ち止まり、振り返る必要があると、強く思う。

 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0


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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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