コラム

 公開日: 2014-07-16 

桜の樹を伐る ―お釈迦様、高倉健、中野英伴を想う―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 国民の義務として境内地にある古い桜の木を伐らねばならぬ羽目になり、気が重くなった。
 どうせ誰かがやるのなら自分がやることにした。
 もちろん、根元が30センチ以上もあり、枝は優に15メートルほどにまで広がっている大木を自分では手がけられず、いつものように、「ゆかりびとの会」の会員Aさんにお願いした。

 朝早く来られたAさんは、さっそく取りかかってくださった。
 まず、ある程度のところから電動ノコギリで太い枝を伐り、小型トラックの荷台に積めるほどまで細切れにして『法楽農園』へ運ぶ。
 農園では、チッパーで砕き、畑に用いる。
 幾度となく境内地と農園を往復するが、とうとう夕刻になった。
 最後に残っていたのは、手をすべてもがれてしまった高さ3メートルほどの幹である。
 いくら切り目を入れようとビクともせず、トラックで引いても動かず、とうとう、ユンボを投入した。
 ところが、濡れて凹凸の激しい地面もあって、小型のユンボでは引っぱりきれない。
 とうとう、ロープが切れた。
 ユンボを降りた私とAさんの目が合い、無言の言葉が行き来した。
〝ただごとではない〟
 薄暗さが闇の気配をまとい始めた中で、Aさんは意を決したように、再び、ノコギリを手にした。
 私はロープをユンボへ引っかけていて草むらへ飛んでしまった金具を探し出し、再び、樹とユンボを結んだ。
 ついに、桜は倒れた。
 とっくに還暦を過ぎたAさんは疲労困憊をおくびにも出さず、満載のトラックで農園を目指した。
 私は、ユンボで幹を邪魔にならぬところへ運んだ。

 その夜、読んだ大喜直彦著『神や仏に出会う時』に、明治における日本の近代化を問う記述があった。

「西欧の自然観や動物観が、政府主導の近代化のもと、日本人の中にすり込まれていく。」
「人間が自然や動物を領有する、自然を人間の摂理に従わせる、人間に有益なモノは利用保護し、敵対するモノへは破壊・絶滅も当然と考えるようになるのであった。
 本来、日本人の持つ自然との共生はその考えに取って代わられていったのであった。
 この段階で自然と共にあった日本の神仏に対する認識は変化していくことになる。」
「歴史的にみて、日本人がつきあってきた神仏とは、神社仏閣に閉じ込められたものではない。
 神仏は身近に存在して、絶えず人間と交渉していたのである。
 それは自然であり、動植物・虫に当たるまでであったのである。」
「葬式や法事にも、親族や関係者が(たとえ義理・儀礼上でも)集まり、お彼岸・お盆のお墓参りには多くの人がでかけ、それがニュースにもなる。
 ここにはまだ信仰で結ばれた絆が維持されているといっても過言ではない。」
「~、『進歩』ははき違えた『進歩』であったのである。
 その『進歩』を物語るように、豊かであるはずの現代はとても豊かとは思えない社会を出現させたのであった。
 今の時代を象徴するように、テレビの番組やインタビューなどをみても『夢』を語る人はいるが、『希望』を口にする人はみかけない。
 質問する側も『夢』は何ですかと問うが、『希望』のことは聞かなくなった。
 『希望』がないのである。
 『希望』があってこその『夢』である。
 『希望』がなければ、『夢』は単なる空想的な理想にすぎないのではないか。」
「自然を人間に服従させようとし、環境問題を起こしている今こそ、私たちはもう一度中世びとが、きわめて自然=神仏などを身近なモノとして感じ、そして信仰に基づき、人と人との絆を形成して生活してきたことを思い起こす必要があると考える。
 これは決して前近代がよいとか、非科学的な行為を肯定しているのではない。
 ただはき違えた『進歩』から切り捨てられた世界をもう一度見直す必要があるのではないかといいたいのである。
 切り捨てられた世界には、『進歩』とされた世界ではわからないものがあり、それこそが今の課題や問題を解き解決する重大なヒントがあると考えるのである。」
「今こそ本当の『進歩』を求める必要がある。
 それでこそ『希望』を取り戻すことができる唯一の方法ではないだろうか。」



 お釈迦様が説かれた「人生もこの世もままならない」をまたもや突きつけられ、頭を抱えてしまった。
 高倉健が主演した『冬の華』の冒頭場面を思い出す。
 高倉健は、渡世の義理から池部良演ずる兄弟分を刺し殺す。
 弟分から「兄弟じゃねえか。ガキがいるんだ。助けてくんねえか」と頼まれ、近くにいる娘を視野に認めているにもかかわらず、無言で、奥歯を噛んで。
 中野英伴写真集『棋神』を開き、第41期名人戦・第5局において、加藤一二三名人が谷川浩司八段を降す一局のシーンを、改めて眺める。
 谷川は席をはずしており、ガランとした部屋の中央にある将棋盤を背にした加藤は縁側に直立し、庭を眺めている。
 逆行で黒々とした加藤の背、手前でややぼやけた中盤の戦場。
 人は誰でも〈そこ〉を通らねばならないのだ。
 どうにか眠りに就いた。



 早朝、朝露を踏みながら、切り株を見にいった。
 あれほど切り刻まれても悠然と屹立していた幹を最後まで支えていたのは、僅かな部分だった。
 倒れた衝撃で飛んだ幹の一部には、樹皮に貼りついた苔が青々と呼吸していた。
 今日をどう生きればよいのか……。
 今日も、いつも通り、闘いの日になった。

 今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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