コラム

 公開日: 2014-07-17 

終活を考えるならば、死に逝くものたち、死を宿命とするものたちをよく観よう

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』は佳い季節を迎えました〉



 30才台で終活を考えている方もおられますが、そもそも終活とは何でしょうか?
 自分の死後への準備を調えるということでしょう。
 お葬式をどうするか、お墓をどうするか、遺産をどうするか、あるいはエンディングノートを書くなど何を生きた証(アカシ)とするか、といったイメージが一般的と言えそうです。
 しかし、生き方に迷った若き日にさまざまな宗教の門を叩いたことのある身として、また、人生相談を受け、逝く方をお送りする身となった者として強く思う問題があります。

 私たちは、〈死後〉へ行くためには〈死なねばならない〉ということを本当にわかっているのか?

 多くの場合、私たちはまず、〈どう生きたらよいか〉がわからなくなって悩み、苦しみます。
 受験の失敗を契機として宗教を渡り歩き、哲学書を読みふけった私もそうでした。
 抱えてしまった〈負け犬意識〉と〈浮き草意識〉と戦いつつ夢中で稼ぎ、遊び、高転びに転びました。

 平成11年に封切られたものの、興業成果が上がらなかっため、何人もの重役が首になった『ファイトクラブ』という映画があります。
 エドワード・ノートン演じる主人公「僕」は、経済的には恵まれているものの、生きがいがなく、不眠症に悩まされ、いつしか各種依存症の回復セミナーとでも言うべきグループを渡り歩きます。
 ある時、ブラッド・ピット演ずる石鹸の行商人タイラー・ダーデンと知り合い、惹かれます。
 そして、ふとしたきっかけで殴り合い、その爽快感に目覚めた二人は、タイラーの住居で男たちが殴り合う地下組織『ファイトクラブ』を作ります。
 しかし、タイラーの暴力的で独善的な組織運営は救われるはずの会をオカルト集団に変質させ、タイラー一人の意志に操られる巨大な『ファイトクラブ』は、人間を疎外する社会への挑戦として、高層ビルを爆破します。
 生の充実感を暴力に求めた結果、待っていたのは破壊と死でした。
 全編が暴力に彩られている映画の中で、死ぬのはタイラーだけです。
 しかも〈自分が死ぬ〉などとは考えもしなかった成り行きで、死んでゆきます。
 相手を殴る時の手応え、殴られてつかむ自分の存在感、世間からいっさい隔離された空間における仲間同士の友情、こうしたものは男たちの生を謳歌させますが、決定的に欠落していたのは〈自分が死ぬ〉という意識です。
 だから、暴力はとめどなく膨張したのでしょう。

 タイラーの意識から宿命である死が見事に消えていたのは、愛する人の死に心から涙し、そこで「自分も死ぬのだ」と心の底へ深くおさまる確信を得たことがなかったせいではないかと思います。
 私自身、同居していた祖父と葛藤の関係にあった結果、その死は、〈そちら側〉のものでしかありませんでした。
 だから、導師の席でお孫さんが読み上げる「お別れの言葉」を聴くと、時には、遺影が微笑むように感じられます。
 小学1年生の時に、病弱な子供たちだけが集められた養護教室で席の近かった阿達君が死んだ時は、青白い顔にクマのある大きな目つきで、紫色の唇をした印象だけはしばらく残りましたが、いつでも自由に横になれる小さな座敷のついた教室にいた仲間は皆、風に吹かれる柳のような気配だったので、一人が消えても、さしたるできごととは感じられませんでした。
 中学生の時に、自ら私の「手下」を標榜していた医師志望の我妻君が死んだ時は、あまり見舞いに行かなかったと後悔し自分を責める気持ばかりが強く、彼の死は、〈私の死〉へとつながりはしませんでした。
 今になってみると、〈自分が死ぬ〉という意識の欠如が、40才を過ぎてすべての財物を失い出家するまで右往左往していた原因の一つであったと思われます。
 今日、死んでも不思議ではない、明日はもう、この世にいないかも知れない、――自分も、――愛する人も。
 本当にこう思うことができたならば、この世と自分を観る目はもっと早く、まっとうに生きるための叡智を宿していたに違いないのです。

 私たちの周りに生きているものたちは、生きている自分より先に、どんどん、死んでゆきます。
 それは、萎れた草花、落ちている蝶、轢かれた犬、そして家族や友人や知人など、ほとんど無数にいます。
 誰かの死に直面して立ち止まり、本当に、死にゆくものを悼む心になれるか?
 さらには、自分の横で寝息を立てている猫や、グラウンドで敏捷にサッカーのボールを蹴る子供なども死にゆく存在であると本当に、想像できるか?
 これができれば、早めに、人生の右往左往から離れられることでしょう。
 そして、早めに、〈やってはならないこと〉が〈自分にはできないこと〉になるはずです。

 終活をモノの世界だけで考えるのはいかがなものでしょうか。
 死にゆくもの、死を宿命として持つものたちへ深く想いを致し、自分のいのちに終わりがくることを魂が震える思いで真っ向から受けとめる。
 これが終活の出発点であり、意義の重さはまったく年令を問いません。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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