コラム

 公開日: 2014-07-30 

遺体は死者からの贈りもの、弔う葬礼で弔う者も癒される ─東北関東大震災・被災の記(第154回)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





〈11番目の『忘れな草をあなたに』は入魂の一曲です〉

 7月5日、大震災によって生まれた膨大な悲しみに人と社会がどう対処すればよいかを問うシンポジウム「震災と宗教―悼みと向き合える社会へ―」が開催された。
 場所は東北学院大土樋キャンパスである。
 7月27日に掲載された河北新報の記事を元に、宗教者としてかかわってみたい。

 パネリスト6名へ与えられたテーマは「〝悲しみの技術〟を巡って」である。

2 死者を悼む葬礼は誰のために行うのか

 東北学院大副学長、教養部教授である佐々木俊三氏は問を発した。
「死者を悼む葬礼は、生き残った者たちの悲しみを癒す技術なのか、死者を弔うためのものか。
 二者択一ではなくて、両方の意味があるのだろうか。」

 よく問われる問いである。
 祈る実践者としての答は一つしかない。
「死者を弔うためであり、結果的に弔う者のためにもなる。」

 そもそも、葬礼の始まりは、〈何かをしないではいられない思い〉だったはずである。
 科学が今ほど発達してはいない、それでいて戦争の絶えない時代には、今よりずっと、死は身近だったはずである。
 病気になれば簡単に亡くなり、戦に出かければ簡単に殺された。
 あるいは、気象に翻弄され、虫やケダモノにやられ、伝染病にもやられた。
 そうして心を通わせていた人が屍体になった場合、そのまま放置できようか?
 人間の屍体は〈遺体〉なのである。
 そもそも「遺」の文字は、財宝を両手で持つことを表す「貴」に発し、それを人に贈る意味で「遺」となった。
 遺体とは、魂の去りゆく死者が最後に私たちへ遺してくれた貴い贈りものなのである。

 霊性のある私たちはそのことを察知できるので、遺体を尊ぶ。
 ウクライナで撃墜されたマレーシア航空機乗っていた人々の遺体をきちんと確保するために国際社会が動いているのは、人類共通の大事だからである。
 それだけに、酔った親ロシア派の戦闘員が遺物に手をかける光景はあまりにもおぞましく感じられる。
 また、長崎県佐世保市のマンションで同級生をバラバラにした女子高生の精神状態にはかなり深刻な問題があったと推測される。

 さて、去りゆく魂と、遺された遺体を前に、私たちは何かをしないではいられない。
 そこに祈る心が起こり、宗教心が芽生えた。
 人々の心のありようにより、気候風土により、さまざまにはたらく霊性は、祈る形を徐々に創り上げ、洗練させもする。
 こうして、死者の心と身体に触発された者の霊性が葬礼を形づくり、後に発生した仏教やキリスト級などの世界宗教は、先行したさまざまな葬礼と融合しつつ現在のスタイルを完成させた。

 あの震災後、始めは無事を祈り、徐々に遺体との対面を願うようになられたご遺族方は、遺体や遺品を前に「よく、帰ってきてくれた」と泣き崩れた。
 魂は去ったが、贈りものは届いたのである。
 そして、当山へも、たくさんの人々が足を運ばれた。
 あの時、自分の悲しみを癒すために葬儀を行おう、あるいは百か日や三回忌の供養を行おうと考えている人は誰一人おられなかったと思う。
 修法を終え、皆さんが涙を流しながら「ありがとうございました」と頭を垂れ、「ようやく立ち直れそうです」と吐露されたのは、故人を悼む思いが明確な形となり、人間としてなすべきことができたという安堵感を感じられたからだろう。
 悲しみが癒されたのは、あくまでも結果なのである。

 一方、こんなこともある。
 当山は、各種のお祓いを依頼される。
 たとえば、古い井戸を埋めたところ、完成写真にいるはずのない人の影や、ざんばら髪が映り込んでいたりする。
 その家の方や工事をした方は当然、放置できず、駆け込まれる。
 写真を観て、供養やお祓いの修法を行う。
 皆さん、安心してお帰りなられるが、その前に一言申しあげる。
「皆さんは、供養を待っていた御霊を安心の世界へお送りするという尊い行為をされたのですから、どうぞご安心ください」
 未成仏霊を救うことこそが根本であり、その結果として、金縛りなどがなくなるのである。
 このことの確認こそが人として大切な手順であると思う。
 たとえ、自分から〈気味の悪いもの〉を切り離したいと願ってご来山されても、善行の実践という徳積みによってもたらされた大きな安心感を持ってお帰りになられる。
 相手のためになったからこそ、自分も救われるのである。

 最後にもう一度、祈りの現場にある者の確信を示しておきたい。

「遺体は、魂の去りゆく死者が最後に私たちへ遺してくれた貴い贈りものである」
「弔わずにいられぬまごころによる葬礼は、弔う者の悲しみを癒す救いともなる」

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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