コラム

 公開日: 2014-08-10 

仏教は「まず信じよ」ではない ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(44)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





〈数百キロも遠くからご参拝にこられた方のお土産である。この「屈託のなさ」はどこへ行ったのか?寺子屋『法楽舘』の冒頭で皆さんと話し合った〉

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

第7章 「知」と「心」の融合 ―求めつづけることの大切さ―

2 最後のダライ・ラマ

○仏教は、帰依心よりも思考を大切にする

「仏教の悟りを求める方法や、物事への取組み、思考法は、ときとして近代科学のそれとひじょうに近い立場を採用することもある。」

 ダライ・ラマ法王が、科学界のプロたちと議論を重ねてこられたことは周知の事実である。
 しかも、開かれた場において。
 宗教が、宗教家や宗教団体のためでなく、真に万人のためになるものならば、こうしたことは当然と言える。

「基本的に仏教は、帰依(キエ)心よりも事実、事象の上に思考を巡らせることを大切にするからだ。
 これは仏陀ご自身が説かれていることである。
 もし自らが探求して仏陀自身の教えの中に矛盾があると思うなら、自らの方法に従え、と仏陀は説かれている。」

 仏教は、「すがれば救われる」とは説かない。
 基本的には「こういうものの見方をすれば、真実、真理に迫り得るかも知れない」と示唆するのである。
 それが、悩み、苦しんでいる人それぞれなりの突破口になればそれでよいのである。
 だから、仏教によって救われる道筋はこうである。
 聴き、考え、納得してやってみたら光が見つかった。
 もちろん、半信半疑から始まる場合もあるだろう。
 いずれにしても、思考停止を求めるならば、仏教ではない。

「仏陀は自らの教えを批判する権利を弟子たちに与えられたのである。
 これは科学的と呼ぶに値する。」

 当山では拝み方などを強制しないし、はっきり無宗教と言う方々も、納得してご縁を結ばれている。
 そして、批判も大歓迎である。
 だから、お骨を移動しようとして相談に行ったらさんざん怒鳴られたなどという話は信じがたい。
 仏教は、それぞれがそれぞれなりに真の解放を得ることをもって、個人的には完結する。
 そのためにこそ道理をもって考え、道理によって議論する。
 まさに「科学的」なのである。

「ある高名な科学者にして無神論者が、私自身に語ったことがある。
 彼はたいへんすばらしい無神論者であるのだが、宗教論議の中で、こう言った。
 もし、いずれかひとつの宗教を選ばなければならないとしたら、彼にとっては仏教になるだろうと。
 彼だけではない。
 他の多くの科学者がそのように語るのを聞いている。
 これは、仏教の思考法に科学的なそれと相通じるところがあるからだと、私は理解している。」

 当山も、寺子屋へ科学者をお招きし、役員にも科学者がおられる。
 宗教的信念や宗教行為を科学の目から判断していただくことは、とても大切であると考えている。

「知性によって生きる人たちが仏教を評価するのは、仏教が本来、理性と実験を重んじるものであったはずだからだ。
 特に初期の仏教はそのようなものであったはずである。
 ただ、すべての仏教徒個人が、仏陀の行いを踏襲することができるはずもなく、当然、残された経典に頼ることになる。
 長い歴史の中では、これもまた当然だが、初期の仏陀精神は失われてしまいがちになる。」

 今でもチベット仏教では、修行者同士の論議が正式な修行である。
 映画『チベット チベット』で観た真剣勝負の場面は忘れられない。
 それだけに、中国政府が、「チベットの寺院は守られている」として同じような場面を公開した時、欺瞞であることはすぐにわかった。
 僧侶たちは皆、笑顔であり、あるいは腑抜けだったからである。

「たとえば、チベットの僧院の中で、多くの僧侶たちが仏教の本質を見失い、生きるための方便として僧侶としてありつづける、そんな姿をさらしている。
 チベットばかりではないだろう。
 多分、日本においても、多くの寺院には知性の抑圧が見られるだろうし、知識を食い物にしている僧侶がいるだろう。
 稼ぎの方法として、人間の死を食い物にする者もいるはずだ。
 これらは、ダルマに悪しき印象を及ぼしかねない困った事柄である。」

 耳に痛い指摘である。
 お釈迦様やお大師様と同じように、生き方に悩む方々や、身近な人の死に悲しむ方々にとって必要とされる聖職者でありたい。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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