コラム

 公開日: 2014-08-11 

本当に大切なものは何か? ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(45)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



〈この夏最後の護摩法を終えました。もう、秋です〉

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

第7章 「知」と「心」の融合 ―求めつづけることの大切さ―

2 最後のダライ・ラマ

○最後のダライ・ラマになる覚悟はある

「私自身、ダライ・ラマ個人として、私自身の未来には何ら関心はない。
 ダライ・ラマという制度にも関心はない。
 ダライ・ラマという制度は人が創り出したものでしかない。
 長い年月、人々はダライ・ラマという制度になんらかの有効性を認めてきたというだけのことである。
 だからこそ、この制度は生き残ってきた。」

 ここにある「ダライ・ラマという制度」を「檀家制度」に置き換えると、そのまま当山の姿勢と重なる。
 弊害が顕著になった制度そのものにすがってはいられない。
 だから、当山は、「脱『檀家』宣言」を行い、仏教の根幹である布施の根本的意義を社会へ訴えた。
 布施が見失われれば慈悲の実践はなくなり、自己中心が王となった心は荒むだろう。

「もし、人々がダライ・ラマの制度が過去の遺物となり、時代にそぐわないと判断すれば、それはそれでいい。
 自動的にこの制度は消滅するだろう。
 私はその存続にいかなる努力もする意志を持たない。
 もし、私のこの生命があと数十年ばかり続き、もし、人々がダライ・ラマの制度を不必要と感じるようになったなら、それはそれまでのことである。」

 当山も檀家「制度」がどうなろうと関心はない。
 大切なのは、檀家つまり「ダーナ」という自主的で清浄な「布施」の心が失われず、自分本位の邪心を清める奉仕の精神と行動が人間界から失われぬことのみである。
 そのためには、なによりもまず、僧侶自身が法施(ホウセ)という法の布施に徹して生きねばならない。
 と言うよりも、そうして菩薩(ボサツ)になるための修行道を歩む以外、僧侶としての生き方はない。
 また、僧侶が本来の行者として生きる時、初めて、娑婆の方々は本来の〈檀家さん〉となり、営利活動を行わない寺院の存続をさまざまな形で支えてくださることだろう。

「私は最後のダライ・ラマとなることに、いかほどの痛痒も覚えないだろう。
 私は一個の仏教徒であるのみだ。」

 当山も又、檀家制度にすがる寺院であることを望みはしない。
 住職という一個人は当然、一人の仏教徒であり、檀信徒の方々と何ら変わるものではない。
 そして、仏教徒ではない方も含むサポーターの方々すべてと共に悲しみ、共に苦しみ、共に喜びつつ、この世の幸せとあの世の安心を目ざして進みたい。

「人間は本来すばらしい知性と情感を有している。
 このふたつが相携えて働くなら、正しい方向に向かって進むなら、人類愛や慈悲心がそこには湧き出てくるはずである。
 本当に大切なことはそれだけだ。」

 知性とは、道理をもって考える力である。
 情感とは、天地万物と感応する力である。
 二つがきちんとはたらく環境世界であって欲しい。
 そうした環境世界をつくりたい。
 つくれるよう、知性と情感の二つを錆び付かせず、磨き続けたい。
 そうすれば、悪しき結果をもたらす個人的悪業(アクゴウ)も、社会へ悪しき結果をもたらす共業(グウゴウ)としての悪業(アクゴウ)も消えて行くことだろう。

 最後に、寺子屋で行われた無宗教と称するAさんとの対話を記しておきたい。
「私も仏教が説く因果応報は理解できます。
 しかし、たとえば、沈没した韓国のセウォル号に乗り合わせていて亡くなった教師や生徒は、いかなる因果の報いだと言えるのでしょうか?
 神がそうさせたとは思えない一方で、犠牲者の因果応報とも考えられないのです」
 お答えした。
「そこが社会的な共業(グウゴウ)の恐ろしく、抗しがたいところです。
 事件が起こるまで、セウォル号のあのような航行を許す社会が積んできた悪業(アクゴウ)は隠れていました。
 だから、セウォル号を避けるという判断はできませんでした。
 共業(グウゴウ)の前では、個人的営みはあまりに無力と思えるかも知れません。
 しかし、たとえば航路を変えにくい巨大な艦船でも、誰かが舵をきれば、必ず舳先(ヘサキ)の向きを変えられます。
 また、このままではいけないと気づいた誰かが舵をきる行為に着手しない限り、向きは変わりません。
 私たちがよい行いを実践することも、悪い行いから遠ざかることも、知ることも、知らないでいることも、無関心でいることも、すべてが、個人的な業(ゴウ)をつくり、同時に、共業(グウゴウ)もつくっています。
 私たちが悪しき共業(グウゴウ)にやられず、被害者や犠牲者を出さぬためには、それが隠れている時点でいち早く見つけ、自分ができることによって、かかわらねばなりません。
 共に、自分を見つめ、社会を見つめながら、やりましょう」

 以上で、「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読み終わります。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0

こちらの関連するコラムもお読みください。

<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ