コラム

 公開日: 2014-08-16  最終更新日: 2014-08-17

不戦日本と不殺生 ―お盆の法話―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。








〈低い位置で合掌したみ仏が、右手前(導師のいる方向)へ一歩、踏み出しておられるように見えます〉

 今年のお盆において、当山は新たな目標へ一歩踏み出しました。
 「一心祈願不戦日本」として「不戦日本」の語を祈りの中へ入れたからです。

 お釈迦様は、自他の苦を除くための方法としてまず、十の戒め『十善戒(ジュウゼンカイ)』を示しました。
 仏教における「戒」はインドの言葉で「シーラ」であり、意味は「(よい)習慣」です。
 だから、神様の命令ではなく、罰が当たるからやめなさいということでもありません。
 たとえば、第一番目にある「不殺生」という戒は、殺生が、人と人との間で生きる人間として自他へ苦をもたらす最も大きな要素であることをきちんと認識し、殺生できない人になってこの世から苦を無くしましょうというお導きです。

 さて、私たちはなぜ、他に対して害意を持ち殺意をも持つのでしょうか?
 そしてなぜ、戦争まで行って他のいのちを奪うのでしょうか?

 原因の一つは、〈自分のいのちは自分だけのもの〉という勘違いにあります。
 たとえば、食べものがなければ生きられないのは、他のいのちを分け与えてもらえねば生きられないということです。
 米のいのちも、野菜のいのちも、肉のいのちも、ありがたくいただいてこそ、今の自分がいます。
 では、夕べ食べたトマトと、今朝食べたキュウリのいのちと、自分のいのちとの関係はどうなっているのでしょう?
 そもそも、自分をこの世に誕生させた父母のいのちと自分のいのちはどういう関係になっているのでしょう?
 また、間接的には、家の中で買われているネコのいのちと飼い主のいのちとはどういう関係になっているのでしょう?
 よく考えてみると、私たちはいのちという大海の水を分けいただき、たまたた、諸条件が調っているために生きているという真実がわかります。
 いのちの大海で生かされているのです。
 こうした観点に立てば、〈自分のいのち〉だけが大切で、他のいのちはどうでもよいということにはならないことがわかるはずです。
 だから、殺人とは、明確に自分を殺すことでもあり、それを知っているはずの人間として行い難く、耐え難いのです。
 たとえ意識しなくとも、行為は取り返しのつかない勘違いに気づかせるので、戦場から帰還した戦士の心は傷つき、狂い、破壊されるのです。

 もう一つの原因は、怒りや憎しみという攻撃的感情にあります。
 憎しみに取り憑かれた自分を冷静に振り返って見ると、憎んでいることそのものが辛いと感じますが、それだけではありません。
 攻撃的行為に走ると、その瞬間は、溜まっていたモヤモヤを吐き出すという爽快感めいた感覚をもたらす場合もあるので厄介です。
 だから、小さな子供が仲間を殴って泣かせた時、親や教師は、自分の身に置き換えさせて「いけません!」と叱ります。
 相手が痛い、悲しい、悔しい、辛いと感じることを想像する心が育てば、歪んだ爽快感に走らない習慣が形成されます。
 まさに、思いやりがシーラすなわち「(よい)習慣」を獲得させるのです。
 大人になれば、自己中心という煩悩(ボンノウ)が周囲のきっかけによって怒りや憎しみを引き起こすことがわかります。
 しかし、真の敵である煩悩は、たやすく克服できません。
 思いやりの心を育て、悪しき意欲を善き意欲へと徐々に転換させてゆく努力をつづけるしかありません。

 こうして考えてみると、人と人との対立も国対国の対立も、共に生きているという真実を忘れ、考え方や国境によって不要なまでに強い分け隔てをするところに発生することがわかります。
 また、人と人との対立も国対国の対立も、自己中心的な怒りや憎しみによって増幅されることがわかります。

 最近、駐仙台大韓民国領事館の李凡淵(イ ボム ヨン)総領事と話をし、韓国の実態を知りました。
 日本では、韓国に対して攻撃的な姿勢で書かれた本がどこの書店にも山積みされ、ベストセラーの常連に名を連ねていますが、韓国ではそれほど激しい反日的現象はなく、村上春樹の小説はベスト10に入るほどです。
 また、反日デモと称されるものは、ほとんどが大使館などの前で行われ、日本の政府や政治に対する反発はあっても、日本人そのものに対する憎しみは韓国人の間で共有されていません。
 一方、日本語と韓国語が世界でも希な〈尊敬語〉を持っているということは文化的に重要な共通点ですが、日本でも韓国でもあまり意識されていません。

 私たちが〈戦争をしない日本〉を保ち続けるために、一人の人間としてどう生きればよいか、社会人としてどうあらねばならないか、よく考えたいものです。
 もう20年も昔になりますが、毎日、托鉢行を行っていた頃、自分は歩くタンポポだと感じたものです。
 一軒一軒と訪ね歩くうちに、いつしか、風に舞うタンポポの種と同じく、仏法がご縁となる方々の心へ届くイメージを持つようになりました。
 8月15日も、本堂いっぱいに集まられた方々のお心へいくつかの種が舞い降りたと信じています。
 不戦日本を目ざしましょう。 

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA



 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、この世の幸せとあの世の安心を祈っています。

この記事を書いたプロ

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